最近卒論ばかりに時間を割いているおかげで,明らかに生活が乱れている.特に食生活が.肌が荒れて口内炎ができて治りが遅い.粘膜の荒れはビタミンC不足だろうか?ちゃんと野菜を食べよう.ストレス的にはそれほどではない気がする.院試前,同じくらいの時期のほうが30倍くらい大変だったかなあ.

Paul Grahamのエッセイから

Paul Grahamの文章"What you'll wish you'd known"を読んだ.高校生向けの文章ではあったが,色々同意できる部分は多かった.
http://practical-scheme.net/trans/hs-j.html
ざっくばらんに感想を書く.少しオフェンシブに感じられる箇所があるかもしれない.

[4] 二番目に大きな後悔は、重要でないことを気にしすぎていたことだ。特に、他の人にどう思われているかってことだね。

より正確に言えば、ランダムな人々にどう思われているかを気にするってことだ。大人だって人にどう思われるかを気にするけれど、誰に思われるかって点ではより選別していることが多い。

これは前から思ってた.年に何回か,中学の頃の友達と飲み会をやると,Master Courseなんて進学してるやつはほとんどいない.高校を出て就職,この年齢になると家庭を持っている友人も多い.そんな友人の中では,大学で何を専攻するとか,就職先の職務がどうとか小難しいことはどうでもよくなってしまって,最終的には収入の多寡で成功しているか否か判断される*1.友人の言葉で忘れられない言葉がある.「男は稼いでナンボ.」本当に下世話な話だけれど,こういう話がぽんぽん飛び出すのが俺の知る範囲での地元民.
しかしこういったことは,高校以降の友人と話しているときはそれほどは話題に上がらない.以前どこかに書いたけれど,「彼らは自分が正当に評価される場所」を知っているのだ(そのおかげで余裕が持てる).そういった人間の中に,高校の時点で放り込まれたのは自分にとって僥倖だったのだろう.毛色の違うグループを見られた.

響いた文章は他にもある.

その時のぼくに、高校生と大人の違いは何かと聞いたなら、たぶん大人は生活のために稼がなくちゃならない、と答えていただろう。間違いだ。ほんとうの違いは、大人は自分自身に責任を持つということだ。生活費を稼ぐのはそのほんの小さな一部にすぎない。もっと大事なのは、自分自身に対して知的な責任を取ることだ。

というのもまったくもってそのとおり.自分は精神的に遅熟(造語?)なので,1年前にこの文章を読んでも理解しなかったかもしれない.それでもこの「知的な」というのはいくつかの捕らえ方がある気がするけど.
「自分自身に責任」ということで思い出すのは,ノルウェイの森の永沢さんですかね.

自分に同情するのは,下劣な人間がやることだ

すごいよね.初めて読んだとき,あまりにすごすぎて何を言ってるかわからなかった.なんか間抜けですね.

*1:これが勘違いだったら,俺は最悪だな.とは思うものの多分これは本当.