進路について本気出して略

馬鹿みたいに青臭いことを書く。

最近、自分が物理が好きな理由を考えると博士課程に進学し、物性の一分野を極める事に対する願望が実は薄いんじゃないかという気がしてきた。なんでいきなりこんなことを言うかといえば、ひとつ上の先輩が就活を始めたことで、自分の将来について真剣に考える時期が来たということなのだろう。
振り返ってみると、大学に入った当初は博士課程に進学し、アカデミックポスト獲得を目指し研究に邁進!などと当たり前のように考えていたが、自分の持っている力量と*1、進学した場合に経験するであろう貧しくてやや惨めな20代後半の学生生活について考えていたら気持ちがひるんで、また少しばかし気が滅入ってしまうのだ。しかしこれらの問題は、物理が好きならば全く問題ではないことであって、むしろ他人の出来やいろいろの貧しさや世間体(あいつはいくつになっても親に心配をかけやがって、と言った類のものも含む)が気になる人間は進学してはいけないのだという気がする。俺は気になるのだな。
でも今回書くのはそういうことじゃない。「そもそも自分は物理を極めてどうするのだ」から初めて、「アカデミックにこだわる必要はない」という結論に至ったことは自分にとってすら、ちょっとしたサプライズだった。そこら辺の話を自分なりにまとめておきたい。近いうちに、また進路で迷いだすことがあるだろう。その時、こんどは進学に気持ちが偏るかもしれない。そんな時にこの文章を読み返せば、自分にはどういう考え方が残っているのか再確認することができるだろうから。


さて、俺は物理が好きだ。そして自分が物理で好きなところは「極めて簡単な仮定から出発して、極めて論理的なステップを踏んで多様で有益な性質や現象が求まる」というところだ。はじめは与えら得た問題を解くだけだったが、学年が上がるに連れ、とくにこの"仮定を立てる"というのが物理のミソだとわかってきた。これは言い換えればモデル化の手法だ。良いモデルを設定することはそれはもう、結果の式の物理的解釈なんかよりももっともっと大切なのだと理解するようになった。
一つ例をあげよう。「またかよ」と思われるだろうが、自分はゴム弾性の議論が大好きなので、これをとりあげる。久保の名著「ゴム弾性」にも、最近出た田崎の「統計力学」にもある議論だが、議論の出発点は極めてシンプルだ。ゴム分子がくねくねと曲がりやすいという性質を仮定するだけで、あとは簡単な状態数の計算によりなんとゴムの弾性を導いてしまう。エントロピーとエネルギーの拮抗による自由エネルギーの安定化という物理を、くねくね曲がりやすい分子モデルを設定することでゴム弾性という現象と結びつけてしまったわけだ。
この議論を初めて見たときは驚いたものだった。「すごいな」と思わず本当につぶやいてしまったくらい驚いた。これほど単純で、しかも物理的な物の見方のご利益を見事に提示してくれる例はそうないんじゃないかと思う。もちろん、これはひとつの例でしかないけれども、こんなふうに少数の仮定から現象が再現できるとき、そのモデルは優秀なモデルであるといえる。そして、こういう優秀で広く受け入れられているモデルは物理学にはいくつも存在する。例えば強磁性体をモデル化したイジングモデルだってもちろんそうだし、もっと言えば高校で学ぶ"電子と呼ばれる荷電粒子"という概念だって一種のモデル化に違いない。さらにNewton力学における質点の概念だってモデルにすぎないし…と挙げればキリがないが、極論すれば数式化そのものがすでにモデル化にほかならないのだろう。



さてここからが本題。この感覚をどれだけの人が共有してくれるかは分からないが、自分の場合モデル化とモデル解析の手法を学ぶと少し「強くなったような」気がしてくるのだ。いやいや、べつに笑うところではなくてね。3年生の頃に数値解析の手法を一通り概観したときに感じた自分が強くなったような気分とモデル化を通じて感じるそれは似ている。説明しづらい感覚なのだがそれは大げさに「自分の箱庭で世界を再現する」といった万能感に似ている気がする。
最近気づいたのは、自分が物理をやる上でのモチベーションの一つはそういうモデル化と、その解析の楽しさだったのだなあということなのだ。そう、俺は「物」それ自体が好きなのではなくて「モデル化」が好きだったのだと気づいたのだ。あ、もちろん物それ自体もそれなりにはすきだし、だから物理学科に来たんだけど。


そう考えていくと、もはやある対象に対する知識と扱い方についてとことん深く学んでいく博士課程には未練がなくなってくる。また例えば半導体メーカーに就職することを考えたとしても、実際の生産工程に全く興味がないのであれば半導体産業でを続けるのは退屈かもしれない、と思えてくる。「物理を生かした進路を選択する」ことが、必ずしも「物理の素養を生かせる職業を選ぶ」ことと一致しないということの例だろう。
この考え方の影響はそれだけではない。逆に今まで毛嫌いしていた経済学、あれだって立派なカネと資源の流れのモデル化だろうし、確率論と統計理論を基にした金融理論だってモデル化に違いないと考えられるようになってくる。物理の手法を生かそうと考えることは、ある意味では視野を広げることにつながるということだ。


学部生が言う事なんで所詮たいした説得力はないだろうが、モデル化は物理の考え方であって、科学という考え方のスタート地点なんじゃないか。物理を文字通り「物の理」と解釈するのではなく、「論理的な考え方の枠組み」程度の認識とした方が、自分の将来にとって良い方向に踏み出せるのではないか、とか、そんなふうに思う最近なんだよ。

*1:恐ろしく優秀な先輩が進学を選ばないのを見るといろいろ考えてしまう