今日買った本

ふらっと寄った本屋で、ふらっと衝動買いした。いちまんえん。

物質の対称性と群論

物質の対称性と群論

ラマン活性と赤外活性は、排他的だと聞いて*1、その理由について勉強してみたいと思って。

逆問題―理論および数理科学への応用 (朝倉数学大系)

逆問題―理論および数理科学への応用 (朝倉数学大系)

Tikhonovの正則化について詳しく知るために。フィッティングは奥が深い。

*1:少し調べるとこれは条件付きだと分かったが

景色が窓を流れるのか、自分が流れているのか

今朝、通勤電車にいつものように中高生がいなかったので、はて今日は祝日だったかと思ったりしたのだけど、少ししてから春休みなのだと思い当たった。それから今年度が終わろうとしていることに気付き、焦りを感じた。待ってくれ、早すぎる。

 自分の一年間を振り返ると、今年度は色々あり、去年の夏ですら遠く感じるくらいだ。とくに研究内容のチェンジはちょっとした事件で、新テーマのアサイン以降、仕事への取り組み方も変わった。
 新しく与えられたテーマに取り組みだした年度後半は、我ながらよく働いた。新規テーマをゼロやるからには、誰も想像していない速さで進めて、皆を驚かせてやろうと考えたからだ。子供じみた考えだが、誰にも口出しさせないだけの成果を上げ、それが自分には当然なのだという顔をしたいと思ったのだ。
 今の段階でこれが達成できたかと問われれば、残念ながらまだ首肯しがたい。まだそれだけの結果はでてきていない。だけど周りの人に大きな恩を受けながら、新しい実験技術をたくさん身に着け、できること・分かることが増え、データも取れだし面白くなってきた(上司は実際にデータを見せるまで、その物質の測定はできないかもしれないと思っていた)。ここまで半年間の進捗については、翳りなく誇らしく感じている。
 一方で、自分の限界も少し見えた。今の忙しさは、定常的に研究を行っていく上でのリミットに近い感じがする。土日にはまだ余裕があるが、無理をすると長い目で見て得をしない気がする。学位取得を目指すとなると、最終年度は自分の限界を超えて120%の努力が必要になると皆口々に言うので、少し怖いんだけど。
 研究活動は、知的なものではあるがはやり一次産業なのだと思う。0を1にするものなのだから、効率的に成果が出ることはまず期待できない。黒い煙を吐きながらもパワフルに突き進むトレーラートラックみたいに、非効率でも猛烈に突き進むしかない。自身の限界は伸びるものだと思うので、トレーニングしていきたい。これはマスト。


孤独で困難ばかりの研究のことをずっと考えていると、努力が結果に直結する勉強はむしろ息抜きに感じられてくる。
 パス単1級のクラスAの動詞を一通り確認した。知らなかった単語が6割、知っているけど意味が不安な単語が2割、知っている単語が2割という感じ。weather, project, founderなど、名詞としてなら昔からなじみの単語が、ここでは動詞として登場したりしたのが印象に残った。どうせ何度もやりなおすことになるので、特に頭に残りづらいものをピックアップした。羅列すると、だいたい下のような感じだ。

flaunt appease mollify stifle balk deter subvert subjugate unravel excavate recoup recuperate allude substantiate underscore quell demean detract torment confound refute rebuff rebuke berate lambaste seclude repatriate ostracize repulse renege renounce revel thwart disband rout wreak abdicate bluff broach clench abscond tamper juggle defraud swindle dupe mutter invoke crunch squabble ransack heave encompass exonerate fetter gloat haggle alienate shun admonish slam squander subordinate succumb tally teeter tout weather wince scuttle concoct delve interject evade founder project deplete tarnish disparage hurtle scrawl replenish reclaim modulate invigorate pamper suspend pique wrench

 合計89個。弱えなあ、俺。

猫の手

英検準一級の単語帳を覚え終えた。2冊の単語帳から知らない単語を抜き出してひとまず全部覚えてみた。結果、いつも聞いているPodcastが飛躍的に聞き取りやすくなった。これが意味するのは、単語が英語力の律速の一つになっていたということだ。

ということは、さらに多少の労力を割いて語彙を増やすのも悪くないということだろうから、もう少し単語の勉強を続けてみようと思う。とりあえず英検の1級用の単語帳を買ってみた。

英検1級でる順パス単 (旺文社英検書)

英検1級でる順パス単 (旺文社英検書)

しかしこれが難しい。準一級の単語に比べると、突然難しくなったように感じる。覚える単語の数が増え、おまけに覚えづらさも増した。

使えるものは何でも使おうということで、この本のiPhoneアプリをダウンロードし、これを援用してみることにした。アプリは有料だが、一貫してソフトの中で単語の意味、発音、例文を確認できる点は何にも代えがたいメリットだ。進捗管理が簡単という長所があり、少し操作してみると、使い勝手もなかなかよさそうなことが分かった。テスト機能も役に立つ。
でも僕は紙に書く勉強の仕方も嫌いじゃないので、これらを組み合わせて、柔軟にいろいろな方法をしばらく頑張ってみようと思う。


ある国際会議に2ページのプロシーディングスを送った。コメントが返ってこないので、submitに問題があったのかと心配していたが、先日ようやくacceptの連絡があった。どうやら修正なしで通過ということらしい。こんなことは初めてなので、地味にうれしかった。しかし大事なのは内容だ。これについてはまだ努力が必要な段階と言える。見切り発車とよく言うが、我ながら投稿時に何を見切ったのか、今になっても分からないので困ったものだ。

どうして莫大な金をかけてAlphaGOなんてものをつくるんだろう

記事タイトルの答えは、わかりません。わかりませんが、少し感ずるところはありますので、それについて書きたい。囲碁は、知性というとらえがたいものの一面を抜き出すモデルなのだと思います。それについては後半のほうで与太話を書きます。この記事は基本的に感想文です。

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熱狂の5対局が、幕を下ろした。GoogleDeepMindの囲碁AIであるAlphaGOが、囲碁界の"魔王"ことイ・セドル九段と5戦を交える「チャレンジマッチ」は、AlphaGOの4-1での勝利に終わった。
 正直なところ、今回のマッチはものすごい衝撃だった。たとえるなら、嵐を予感していたところにやってきたのが竜巻で、建っていた建物から何から、見えていたものをすべて持っていかれてしまったような気持ちだ。途中までは、ゲームをハラハラしながら見ていたのだが、3局目が終わったあたりから、AlphaGOの暴力的なパワーに、むしろすがすがしさを感じた。

今回のチャレンジマッチでは、いくつも感心することがあった。一つ目は何といってもまずAlphaGOが、めちゃくちゃ強かったことだ。大会が開始される前、囲碁を打つ人の中で、AlphaGOの勝利を予想していた人は少なかったんじゃないかと思う。僕も、チャレンジマッチが始まるまでは、イ・セドルに勝利するほどのソフトであることは、信じていなかった。
 それまで知られていたモンテカルロ法によるソフトウェアの実力はアマチュア高段レベルで頭打ちとなっていたし、ZenやCSなどのソフトの開発者も「モンテカルロは限界」と口々に述べるように、プロとの間に横たわる深い谷は、依然としてその峻厳さを保っていると思っていた。ブレークスルーを待ちながら、飽和状態にあったというのが、僕が認識する囲碁ソフトの状況だった。
 だから、AlphaGOの開発者達が口々に、「コンピュータが囲碁で人間のプロに勝つには十年かかると言われていたが、我々はそれを成し遂げた」みたいなことを言うのは、僕は謙遜だと思う。世の中の大多数の人は、コンピュータがプロに勝利する日がいつ来るか予想もできなかったし、そんな日は永遠に来ないと思っていた人も*1多かったと思う。チャレンジマッチが終わった今となっては「囲碁ソフトがプロに勝つのに10年もいらないこと、俺はわかっていたけどね」みたいな人がたくさん湧いて出てきていて、辟易とするのだけど。本当に誇れるのは開発者だけだろう。
 AlphaGOが登場したとき、それが画像認識技術を利用したもので、何やらすごいものらしいことは論文からも感じられたのだが、それがどれくらいの強さなのかは誰にもわからなかった。囲碁のプロ棋士の予想でも、Nature論文に掲載された棋譜を見て、AlphaGOの強さを推測しえた棋士はいなかったんじゃないのか。もちろん、論文掲載時からAlphaGOは進化していたので、推測するも何も全く"ベツモノ"のソフトウェアになっていたというのも聞くし、これについてはレドモンド九段も解説で言っていた。

今回のチャレンジマッチは、ショーとしても、とても見ごたえのあるもので、これ以上望めないものだった。
 まず、話題に華がある。なにやらプロに勝ったという「謎の人工知能」の実力が、世界トップ棋士との対局で派手にショーダウンとなるというのだから、気にならないわけがない。1月28日のNatureへの論文出版から、3月9日のチャレンジマッチの開催をずっと楽しみにしていた。これほどまでのソフトウェアを秘密裏に作り上げ、プロ棋士との対局を行い勝利し、ほとんど伝説のような棋士であるイ・セドル九段との5局の対局をコーディネートしてしまうんだから、目まいがする。
 大会が始まってみれば、解説を担当したレドモンド九段も毎日キレキレだったし、深い青をベースに色数を抑えて統一された会場作りは、碁石の白黒とよくマッチしており、非常にスタイリッシュで知的な雰囲気を演出していた。それを自社のサービスを使って世界同時放映まで行ってしまうなんて…何もかもがこれ以上ないほど丁寧にあつらえられたショーで、見ている囲碁ファンとしては多少のこれ以上ないほどの興奮を味わえた。碁のポテンシャルを見た。幸せだった。

最後に、対局を観戦することで、碁の面白さを改めて感じられた。囲碁の深さに、再度気づかされる思いがした。これは収穫だった。
 たとえば第3局の、32手目などは、はっとした。解説者のレドモンド九段の予想はAかBだった。

 ところが、実際に着手されたのは、Bから1路下にずれた、次の手だった。

 もちろん手の良し悪しは、変化を読まないとわからない。しかしこの手は、見るからに働きそうで、称賛の声をあげる人も少なくなかった。たった一路ずれただけで、その手を思いつくことは何倍にも難しくなる。このように、人間の思考の癖が、浮き彫りになるような瞬間は本質的な気がする。それは僕が碁を打ち続けている理由と、関係する。
 ある手が打たれ、理由を示されてみれば、それが良い手か悪い手は納得できる。しかし、その手に自力で気づくことは、納得だけすることの幾倍も難しい。これはアインシュタインが特殊相対論と似ている。特殊相対論が発表されたとき、理解できる人間は世界で5人を超えないと言われていた。しかし現代では、特殊相対論は学部で教わる常識の一つになった。
ノーベル賞を受けた科学者の創造と、ゲームの一つである囲碁を比べることに抵抗がある人もいると思う。しかし、畏敬すべき知性の働きという意味では、どちらも同等に貴い。これを本質的と言わないで何と言えばいいのかな。
 そうやって考えていくと、碁を打つ身としては、AlphaGOが生まれた理由も、なんとなく理解できる気がする。彼らは知性について本当に真剣に考えたいのだろうという、意気込みを感じる。

*1:もちろん、そう信じる根拠などもともと有りはしない

人間には難しすぎた

Historic Moment

Googleの子会社であるDeep Mind社が開発した囲碁AI、AlphaGOが、イ・セドル九段を五番勝負において3-0のスコアで下した。衝撃的な出来事で、僕の中ではこれはまだ消化しきれていない。解説聞き役のChris Garlokが、解説に挟んで何度も言うことを強いられていたように、今回の出来事は間違いなくhistoricなものだった。それは囲碁の歴史上という意味でもあり、人類史上という意味でもある。解説役のMichael Redmond九段は、今回のAlphaGOの、イ・セドルに対する対局において見せた新手の数々を、本因坊道策、呉清源に続く第三の革命だと称した。
 特に布石~序盤に現れた数々の意味不明な着手は、初心者が教室でやろうものなら先生に叱られるレベルの筋悪なものだった。それでも、そのような筋悪な手をもってしても、囲碁史に残るような最強天才棋士であるセドルに勝利するということは、我々の理解していたと思い込んでいた囲碁理論が誤っていることを示しているのだろう。
youtu.be

人間にとって難しいこと

第三局を観戦する前、ニコニコ生放送の、第二局に対する解説を飛ばし飛ばし見ていた。盤面を映せない「大人の事情」により、番組の内容は雑談的だったのだけど、その割には楽しめた。スペースマンこと大橋プロが、そこで興味深い考察をしていた。人間は部分が集まって全体になると考えるが、AlphaGOは、そのような考え方をしないというものだ。
 困難は分割するというのがデカルト以降、人間にとってのセオリーであった。Divide and conquer。だがAIにその制約はない。盤面をひとつなぎの絵として見ることができる。それが囲碁には非常に有効だったらしい。AlphaGOは、本来一枚である絵を、分割せざるを得ない弱点を持つ人間を超えるのに適していた。それゆえ、圧倒的なパワーをもって、人間からしたらもはや質的に別のゲームのような囲碁を打ち、セドルを下した。
 コンピュータ囲碁の発展史に話を限定するならば、Crazy Stoneのモンテカルロ法の出現が一つの革命だったという。僕はモンテカルロ法で碁が強くなるのがなぜか、よくわからないのだけど。モンテカルロ法はサンプリングによるアンサンブル平均なのだから、この手法が通用するということは、もしかしたら人間がルールの下で打つ碁が、実はそれほど秩序だってないということだったのかもしれない。なんにせよ、人間には碁は難しい。

個人的な思い

AlphaGOとセドルの対戦を見ることは、僕が囲碁をやる目的だったのかもしれない。遡ってみると、コンピュータ将棋が台頭してきたとき、ゲームをプレーするAIに興味を持つようになったのが、僕にとっての囲碁を始めるきっかけだった。合議制将棋プログラム「あから」が清水女流王将(当時)を破った2010年、M1だった僕は、本郷キャンパスまで観戦に行ったのだった。モンスターのような規模の計算機が、いくつかの悪手を指しながらも最終的には女流プロを負かすところを超満員のホールで目の当たりにして、感銘を受けた。
 その後将棋電王戦において、コンピュータが評価値を示すようになってから、将棋から理外のものが取り払われ、demystifyされたような気がした。これには本当に興奮した。僕はプレーヤーとして将棋に再度興味を持つと同時に、囲碁でも同じような体験をしたいと思って、囲碁の勉強を始めた。2013年のゴールデンウィーク囲碁を打ち始めたから、かれこれ3年弱打っている。
 将棋界が沸いていある間も、囲碁のプログラムは将棋に比べて発展が遅くて、僕自身ももしかしたら自分が生きている間には、プロ棋士に勝つ囲碁プログラムはできないのじゃないのかと思っていた。僕だけじゃなく、プログラムが棋士に勝つまで数十年かかると思っていた人は、開発者を含めても少なくなかったはずで、将棋のプロ界が動乱している間も涼しい顔をしていた。囲碁プログラムの進展がこんなもんだから、自分には強くなるだけの時間があると思っていた。30年後には自分もKGS3Dくらいの棋力はもってるでしょ、と。今の棋力からすると、それは楽観的すぎたようだけど…w
 ともかく、それがこの1月のNature論文でひっくり返ってしまったのだから焦った。もう少し待ってくれ、これじゃ対局を見ても理解できない。でもふたを開けてみればこの程度の碁歴であるにも関わらず、今回のAlphaGOとセドルのチャレンジマッチは大いに楽しむことができた。Redmondの解説が、最上のものだったということもあるが、囲碁の勉強中に見たどんな棋譜とも違うAlphaGOのうち回しについては、それを感じ取ることができる棋力は身についていたからだ。そういう意味では、目的を持った僕のショボい囲碁学習は成功したんだろう。

次は

僕の中では囲碁に関しては目標が達成されてしまった。次は何に興味を持つと楽しめるだろうか。正直なところ、今回ほどドラマチックでエキサイティングな出来事は、人生の中でもそうはあり得ないと思っているのだが。

どんどん増やす英単語

最近英単語を増やすことに乗り気になっている。TestYourVocabによれば、僕の単語レベルは7300くらいだそうだ。一つ前の記事に書いた「文で覚える単熟語」を勉強をしただけだが、重要単語の抜けを少なくすることで飛躍的に英語ニュースなどが聞きとりやすくなることが感じられた。どうやら僕の学習段階だと、単語量が英語能力に直結するらしい。詰込み型の勉強も、トレンドではないだろうが、たまには良いだろうと考え、羅列型の単語帳も買って、知らない単語を抜き出してみた。

英検準1級 でる順パス単 (旺文社英検書)

英検準1級 でる順パス単 (旺文社英検書)

掲載されている1,550個中、189個の単語について、その語義を自信をもって答えられなかった。これらを埋めることで、確実にステップアップできると思ってる。