人間には難しすぎた

Historic Moment

Googleの子会社であるDeep Mind社が開発した囲碁AI、AlphaGOが、イ・セドル九段を五番勝負において3-0のスコアで下した。衝撃的な出来事で、僕の中ではこれはまだ消化しきれていない。解説聞き役のChris Garlokが、解説に挟んで何度も言うことを強いられていたように、今回の出来事は間違いなくhistoricなものだった。それは囲碁の歴史上という意味でもあり、人類史上という意味でもある。解説役のMichael Redmond九段は、今回のAlphaGOの、イ・セドルに対する対局において見せた新手の数々を、本因坊道策、呉清源に続く第三の革命だと称した。
 特に布石~序盤に現れた数々の意味不明な着手は、初心者が教室でやろうものなら先生に叱られるレベルの筋悪なものだった。それでも、そのような筋悪な手をもってしても、囲碁史に残るような最強天才棋士であるセドルに勝利するということは、我々の理解していたと思い込んでいた囲碁理論が誤っていることを示しているのだろう。
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人間にとって難しいこと

第三局を観戦する前、ニコニコ生放送の、第二局に対する解説を飛ばし飛ばし見ていた。盤面を映せない「大人の事情」により、番組の内容は雑談的だったのだけど、その割には楽しめた。スペースマンこと大橋プロが、そこで興味深い考察をしていた。人間は部分が集まって全体になると考えるが、AlphaGOは、そのような考え方をしないというものだ。
 困難は分割するというのがデカルト以降、人間にとってのセオリーであった。Divide and conquer。だがAIにその制約はない。盤面をひとつなぎの絵として見ることができる。それが囲碁には非常に有効だったらしい。AlphaGOは、本来一枚である絵を、分割せざるを得ない弱点を持つ人間を超えるのに適していた。それゆえ、圧倒的なパワーをもって、人間からしたらもはや質的に別のゲームのような囲碁を打ち、セドルを下した。
 コンピュータ囲碁の発展史に話を限定するならば、Crazy Stoneのモンテカルロ法の出現が一つの革命だったという。僕はモンテカルロ法で碁が強くなるのがなぜか、よくわからないのだけど。モンテカルロ法はサンプリングによるアンサンブル平均なのだから、この手法が通用するということは、もしかしたら人間がルールの下で打つ碁が、実はそれほど秩序だってないということだったのかもしれない。なんにせよ、人間には碁は難しい。

個人的な思い

AlphaGOとセドルの対戦を見ることは、僕が囲碁をやる目的だったのかもしれない。遡ってみると、コンピュータ将棋が台頭してきたとき、ゲームをプレーするAIに興味を持つようになったのが、僕にとっての囲碁を始めるきっかけだった。合議制将棋プログラム「あから」が清水女流王将(当時)を破った2010年、M1だった僕は、本郷キャンパスまで観戦に行ったのだった。モンスターのような規模の計算機が、いくつかの悪手を指しながらも最終的には女流プロを負かすところを超満員のホールで目の当たりにして、感銘を受けた。
 その後将棋電王戦において、コンピュータが評価値を示すようになってから、将棋から理外のものが取り払われ、demystifyされたような気がした。これには本当に興奮した。僕はプレーヤーとして将棋に再度興味を持つと同時に、囲碁でも同じような体験をしたいと思って、囲碁の勉強を始めた。2013年のゴールデンウィーク囲碁を打ち始めたから、かれこれ3年弱打っている。
 将棋界が沸いていある間も、囲碁のプログラムは将棋に比べて発展が遅くて、僕自身ももしかしたら自分が生きている間には、プロ棋士に勝つ囲碁プログラムはできないのじゃないのかと思っていた。僕だけじゃなく、プログラムが棋士に勝つまで数十年かかると思っていた人は、開発者を含めても少なくなかったはずで、将棋のプロ界が動乱している間も涼しい顔をしていた。囲碁プログラムの進展がこんなもんだから、自分には強くなるだけの時間があると思っていた。30年後には自分もKGS3Dくらいの棋力はもってるでしょ、と。今の棋力からすると、それは楽観的すぎたようだけど…w
 ともかく、それがこの1月のNature論文でひっくり返ってしまったのだから焦った。もう少し待ってくれ、これじゃ対局を見ても理解できない。でもふたを開けてみればこの程度の碁歴であるにも関わらず、今回のAlphaGOとセドルのチャレンジマッチは大いに楽しむことができた。Redmondの解説が、最上のものだったということもあるが、囲碁の勉強中に見たどんな棋譜とも違うAlphaGOのうち回しについては、それを感じ取ることができる棋力は身についていたからだ。そういう意味では、目的を持った僕のショボい囲碁学習は成功したんだろう。

次は

僕の中では囲碁に関しては目標が達成されてしまった。次は何に興味を持つと楽しめるだろうか。正直なところ、今回ほどドラマチックでエキサイティングな出来事は、人生の中でもそうはあり得ないと思っているのだが。