Srednickiを眺めてみた。語り口が優しい印象。頑張れるかもしれない。
Klein-Gordon方程式は確かにローレンツ変換に対して不変であるが、確率の非保存という欠点がある。これは言わば当たり前なのだ。従来の量子論において位置座標は演算子として扱われるが、時間は系を記述する単なるパラメーターに過ぎない。つまり時間はちゃんとobservableであるくせに「時間演算子」なるものは存在しないのだ。これは相対論にとって非常に都合が悪い。相対論は時間と空間の座標を、Lorentz変換で互いに混ざる時空の成分として扱いましょう、という精神に基くために時間だけ特別扱いをする限りはうまく行かないのは当然なのだ。
それでは相対論と量子論をある極限として含むメタ的な理論はどのような形が考えられるかというと、それには二つの方向がある。一つは、時間を演算子に格上げするという方法であるが、これは非常に込み入った形式をしている。そしてもう一つが、位置座標の演算子を単なるパラメーターに格下げする、通常、場の量子論と呼ばれる形式である。
非相対論的な量子論においては(1粒子)波動関数は「ある粒子が空間内のある点xにおいて存在する確率振幅」を与えたが、場の量子論においてψ(x)は単なる場の変位を与えているに過ぎない。xは外から与えられるべきものであり、単なるパラメーターに過ぎない。
先に、時間を演算子と見なす方法と、場の量子論の二つの形式があると述べたが、これらはいつも同じ計算の結果を与える。したがって、どちらを用いるかは個人の都合と好みによるのだそうだ。通常は簡単なほうを使いたい、ということで、場の量子論は上に述べた「メタ理論」の有力な候補なのである。そうだ。