春が来ると思い出す

大学に入って、一番最初に受けた授業が文学の授業だった。担当の先生が教室に入ってくる。1年生向けの教養の授業で、すし詰め状態の教室は全体が、学期はじめ特有の奇妙な緊張に包まれていた。壇上に上ったのは50歳を過ぎたあたりであろうか、落ち着いた感じのグレーのスーツを着た、ややふくよかな男性であった。
壇上に上がるなり彼は黒板に「桜の樹の下には屍体が埋まってゐる!」と書いた。そしてさらに先を諳んじるその先生が、自分には何か別世界に住む人種に思えた。そしてとてもかっこよく映ったのだ。大学に入ってまさに初めての授業で、ガツンとやられてしまったわけである。授業後、なんだか浮かされているような気分になり、僕は小説をたくさん読んでやろうと心に誓ったのである。
僕とその先生との出会い、僕と梶井の出会い、僕と小説というものの出会いはそんな感じだった。


先生は、「こんな風に小説の一説を覚えておくと、教養があるように見えるのだ」と、ニコニコしながらおっしゃっていた。当時すっかり先生にあこがれてしまった僕は先生と同じように「桜の樹の下には」を暗記してしまった。今思えばそれは、軽い冗談だったような気もするが、惚れっぽい自分はすっかりその気になっていた。
毎年春になると、そのときと同じような気持ちになる。何か新しいことがとてもしてみたくなるし、実際やってみたらうまくできてしまうことが良くある。春は、そういう内的なチャンスがたくさんある季節だと、強く思っている。