むしろ逆に確率を質的にとらえて納得する

立ち読みした本に確率のパズルが載っていて、それについて考えたりしていた。そのパズルについては数日間考え、答えを本で確認したところ、納得するものとは言えなかった。条件付確率と呼ばれるものを利用したパズルで、ベイズ統計学と関係のある問題だ。こういう問題は、説明されればああそうかと納得するものの、考え方がみについているかと問われると怪しいところがある。この問題の簡略バージョンなら、ネットでもよく見かけるので、これについて少し考えてみた。簡略バージョンでも問題の肝は捉えられると思う。
ネットに問題文があったので、引用する(ベイズの定理(入門編) - Pashango’s Blog)。

隣の家に2人の子供がいる事が解っています。隣家のお母さんに「女のお子さんはいますか?」と質問した所「はい」と答えました。このとき、もう1人の子供も女の子である確率はいくつでしょうか?

単純のために、この世界では男女の出生率に差はないとし、また生まれたこどもは死亡等による男女の偏りは生じないものとする。また子どもの性別について判断できる情報は、持ち合わせていないとする。まあ、新しく引っ越してきてお隣さんの家族を見たことがないとか、そういうことだろう。現実では子どもが二人いると知っているのに、性別については全くの無知というのはなかなかあり得ないように思えるが、このようにし仮定しても一般性を失わないし、この仮定が破れている現実世界でも、計算過程の数値だけ変更すれば考え方は適用できるからね。

さてこの問題だが、想定解答は次のようなものだ。事象AとBを、次のように定義する。
A: 二人の子どもの少なくとも一人が女の子である
B: 隣家の子どもが二人とも女の子(姉妹)である
すると、今回求めたいのはAと分かったうえでのBの確率だ。一般的な記号を導入して、これをP(B|A)と表す。ベイズの定理を用いると、
 P(B|A)=\frac{P(A∧B)}{P(A)}
である。事象の意味的には、B⇒Aが成り立つので、P(A∧B)=P(B)=1/4である。また、P(A)のほうは、これを「二人の子どもが両方とも男の子である」ことの余事象に対する確率と考えれば、P(A)=1-1/4=3/4となる。したがって求めるべき確率P(B|A)は、(1/4)/(3/4)=1/3となる。


この問題は「少なくとも一人が女の子である」ということを悟る時点が、非常にデリケートであり、例えば冒頭の問題を次のように問題を書き換えると答えは変わってしまう。

隣の家に2人の子供がいる事が解っています。ある日、偶然、隣家に女の子が出入りするのが見えたので、子どものうち少なくとも一人はどうやら女の子のようです。このとき、もう1人の子供も女の子である確率はいくつでしょうか?

前問と同じように、事象AとBを定義するのがよいだろう。
A: 二人の子どもの少なくとも一人が女の子である
B: 隣家の子どもが女のこ二人(姉妹)である
このように考えるなら、結論は前の問題と同じになる。しかし、問題文の状況をよく考えると、Aをもってすでに起こった事象とするのは間違いである。このばあい、正しくはA'を使う。
A': ある日、偶然、隣家に女の子が出入りするのが見えた
もう少し数学的にクリアに書き直すならば、
A'': 二人の子どものうち一人をランダムに抜き出したところ、女の子であった
となる。確率P(A'')を求めるには、条件付確率に対する関係式
 P(X)=\sum_{i}P(X|Y_i)P(Y_i)
を使えばよい。すると、P(A'')は1/2となるので、求めたい確率P(B|A'')=1/2となる。


なぜこのような差が生じたのかというと、それは女の子が隣家に出入りするところは、女の子が一人だけしかいない場合よりも、二人いる場合のほうが目撃する確率が高いからである。女の子が出入りするところを見た時点で、少なくとも女の子が一人その家にはいるということに加え、「女の子がその家に出入りするところを目撃する」という事象が起こりやすいということも同時に知るわけである。これはつまり、二人とも女の子である確率が高いということを知るということである。
A''が生じた時点で、Aよりも多くの情報を得たことになる。パラドキシカルな結果を与える2つの問題だが、このように考えると多少の納得がいく気がする。ではこの余剰な情報の量は、「どれくらいだろうか」。これについては、計算すれば出てくるのだろう。気が向いたらそのうち計算するかもしれない。

留学生の希望によって富士山に登ってきた。僕が前回上ったのは6年前、吉田口からで、そのときは猛烈な混雑に見舞われた。今回は須走口からスタートし、7合目の山小屋に宿泊した。人は少なく、快適な登山道だった。
不幸なことに、心配していた留学生ではなく、僕が高山病にかかってしまった。山小屋での食事のころは手足が痺れ頭痛もひどく、チーム員から「顔面蒼白」との評ももらってしまった。断念も止む無しかと思ったが、食欲のないところを無理やり食べて耐えていると、幸いにも回復した。代謝を活発にすると早めに適応するというのも聞く話だ。
早朝3時ごろ、空を眺めると天の川が見えた。流星も三、四個見えた。ご来光は8合目付近で迎えた。8合目から、須走ルートはは混雑の吉田ルートと合流するが、日の出後の登頂ルートはいい感じに空いていた。道がいくら空いていても、ずんずん歩いてしまうと息が切れて頭が痛くなるので、1歩を10センチくらいを心がけて進んだ。遅くても一定ペースで歩くと、周りの人よりかえって早いペースで登れてしまうのは少し痛快だ。その後剣が峰にたどり着き、お鉢巡りをして下山。山頂では小学校に上がったばかりじゃないかという子供が何人かいて驚いた。
復路は思っていたよりしんどかった。天候が優れなかったこともあるが、御殿場ルートを踏破した経験者二人すらも、「不思議なくらいきつい」と言っていた。一人は富士登山15回、もう一人は4回という手練れなのだが、結局、歳のせいかということになった。帰りは渋滞に巻き込まれたが、留学生も満足していたし、良い旅だった。

今回の登山に当たって、雨具や靴からシャツまで、一通りの用具を買いそろえた。総額6万円くらいかかったが、やはり良いものは良い。特に靴の性能が良いと安心感が違う。
今年は次は御岳山あたりかということで、少々ごつすぎる気もするが、せっかく買ったので用具は活用したい。

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アーリックのTシャツ

シリコンバレー シーズン2の第一話。
アーリックのTシャツに、
01000010
01101001
01110100
01100011
01101111
01101001
01101110
と書いてあった。これはASCIIコードを参照すると、アルファベットに直せる。
"bitcoin"だそうだ。

Puzzle答え

球殻の端に電圧Vをかけ、電流Iが流れたとする。
材質を一緒のまま、球の半径を2倍にする。電圧は同じくVとすると、相似則から球殻上の各点の電場は1/2。つまり電流密度も1/2。
電極の位置を南北極とすると、赤道を通過する電流は、電流密度と赤道の長さの積だから、1/2*2で1。つまりI。
したがって抵抗は半径が2倍になっても変わらない。何倍になっても変わらない。
これは2次元の抵抗率の次元が、抵抗と同じことと同根だ。したがって、3次元の中身の詰まった球だと具合がかわってくる。

von Klitzing先生との食事会があった。非常に活動的な先生で、世界各地で会議に出席している。
今回は日本に来たからちょっと立ち寄ったのだそうだ。ちょっと立ち寄ってもらえるグループにいられるのは幸運に思う。
日本での研究における横の連携の弱さについて話したりした。難しい話だった。
勇気を出して物理について聞いてみた。最近はナノアーキテクトロニクスに興味を感じていると言っていた。

英語の聞き取りに課題があるなと感じた。話すならできるけど、聞き取れない。耳が悪いんだろうか。

puzzle

電気を通す薄い金属の球殻を考える。球殻の、北極点と南極点にリード線をくっつけ、電流を流すとする。北極点と南極点には電位差が生じるだろうから、2点間の抵抗が求まる。
つぎに、最初の2倍の半径を持つ球殻を同じように考える。やはりリード線をくっつけ、電流を流すとする。このときの抵抗値は、初めの球殻の場合の何倍か?
また、球殻ではなく、中身の詰まった金属球で同じ実験をしたらどうなるだろうか?

ポーランドでの出来事

学会でポーランドに行ってきた。東欧に足を踏み入れるのはこれが初めてだった。東欧と言うと民族主義的というイメージがこれまであったのだが、幸いにも今回の旅でそれを感じることはなかった。ちょうど開催していたEURO2016をテレビ鑑賞している人たちの悲鳴がホテルに響き渡っていたというのはあるが…(ポルトガルに延長戦負け)
ポーランドは18世紀に3分割され国が地図上から消滅するという憂き目を見た。後進的な封建制が災いし、各貴族が隣接する大国と各々の利害から結託した結果のことという。また20世紀にも独ソによって占領を受けた不幸な国でもある。そんな土地であるから、無知からくる地雷を不意に踏むのも怖かったので、念のため歴史について勉強して行ったのだ。実際に訪れてみると農村部へ行くと特に牧歌的で美しい風景の多い、豊かな農業生産力を持つ国という印象であった。また、人々はみなルールをきっちりとよく守る。車を運転する人も歩行者によく気づかい、道を譲るなどの細やかさのある人々であった。

学会では、各国の研究者たちが集まり最新の研究状況について報告しあう。小さい業界であり、その分野で研究を行うほとんどすべての人が一堂に会する場と言ってもよい。僕は今回が初めての参加だったのだが、その活発さに強く感銘を受けた。僕自身は1年半も前に取ったデータについての発表であり、諸事情から現在では僕は別のテーマを抱えている。道半ばにおいて、言わば志折れた状態での発表であったが、先端を行っているいくつかの国から激励をもらったのはうれしかった。同時に、研究の評価軸は決して一元的ではないという、組織においては忘れられがちな事実について再確認することができたので良かった。
研究をやめたことについて、フランスでPLをしている研究者が非常に怒っていた。正確に言えばやめたわけではなく、別の研究者に引き継いだわけだが、片手間でできるようなテーマではないということである。そりゃそうなのだが、彼には怒る理由がある。ヨーロッパにおいては協調が基本なのだ。経済においてもそうであるし、研究においても協調の重要性は論を俟たない。日本が協調することにより、業界全体が盛り上がり、様々な面で研究の遂行もしやすくなる。なのに日本は手を貸さないというのか。こういう誘因じゃないかと思う。
それからもうひとつ、中国の台頭は、話題として外せない。非常に大きなリソースをつぎ込んで、先進的な研究をしている国からシステムを丸ごと(ともすればブレーンごと)購入する作戦らしい。それでもこれまでのと全く同様のやり方ではなく、研究例の比較的少ない測定方式への転用を見ている。多少ひねりを入れてくるあたりが本当に賢い。数年もすれば、一線で成果を出し始めるのだろう。こういう大技はなかなかまねできない。一般道を行くのと、航空機を利用するくらい効率が違う。こうなってくると正面から勝負するのはかなり難しい。後進のメリットを生かすためには、動き出す前に頭を振り絞ることが必要なのだろう。