手それ自身

自分は小学生のころなんかはよく将棋の大会に参加していたのだけど,盤を挟んで相手と対峙すると,とくに自分よりも格上の相手と向き合うと,相手の繰り出す一手一手が魔法の力を帯びているような気がしてきて,伸び伸びと指せなくなったのだった。どんな手を指したとしても相手にうまく丸め込まれてしまうのだと感じてしまっていたものである。相手の指し手はただそれだけのことであり,こちらも最善手になるべく近い手を指すことだけを考えればいいはずで,当然ながら魔法なんてあるわけはないのだが,これが勝負となるとわからなくなるのだ。*1
近年の評価関数の精密化は,そういう魔術めいた盤外戦術を気持ちの中から消し去ってくれたように思う。どれほどの好手であれ,それに対する応手が正しく選ばれるのであれば局面が急激に悪くなることはない。その事実を圧倒的な客観性と一緒に示してくれる。
コンピュータには水平線効果というのがあるわけだが,棋力の頂点を目指すのでない限り3手も読めれば充分ということが多い。こういう事実をあらためて認識し,将棋観を改めている最近である。やはり将棋は面白い。もっとうまく指せるようになりたいと切に思う。

*1:そのおかげで苦し紛れに怪しげな手を放ち,勝たせてもらったこともたくさんある。ああいうのは本道ではなかった。