科学者の心理

http://anond.hatelabo.jp/20100212132124
最近は疑似科学への風当たりがかなり強くなっていて,血液型が何型だからどーのこーのと言っただけで無根拠だとか差別だとか,声高に批判されるようになった.これが良いことかどうかは一先ず置いといて,疑似科学を叩く人達を見て

あの原動力はどこから生まれるんだろう。

という疑問を持つ人も結構いることと思う.
元のエントリが,どの辺りの人を指してるのか(学校の先生なのか,日和見的にdisってるネット弁慶の方々なのか)よく分からないのだけど,ここではとりあえず「科学をやってる人」からみた疑似科学叩きの動機を考えてみることにしよう.


まず例外なく言えるのは,疑似科学を徹底的に批判しているのは科学に心酔している人だということだろう*1.これには感情が絡む.自分が神聖視するものが汚されりゃそりゃ目くじら立てて怒るのも頷ける.ちょうど,アニメオタクらがキャラクターを貶されて感じる怒りと同質のものじゃないかな.面白いことに,科学もアニメも極度に理想化された外界の干渉を受けない*2世界への没入であって,思ってる以上にお互い似てるっちゃ似てる.


それから原動力はもうひとつある.それは「科学の本当の素晴らしさを知ってほしい」って事だね.客観化を突き詰めていくと,そこには想像も出来なかった素晴らしい世界が広がってるからさ.んでもって,自然の巧妙さを一旦肌で感じてしまうと,「これをみんなにも知ってほしい!」と思ってしまう.そうすると例えば有名な「水からの伝言」にあるみたいな

言葉や文字には、それぞれ固有のエネルギーが宿っています。
水に、よい言葉や文字を見せたり、音楽を聴かせると、
「水の結晶」は美しく変化するそうです。

なんつー言葉が,見過ごせなくなってくる.「こんな表面だけの陳腐な言葉で満足してしまったらそこでおしまいじゃないか.その先にもっと素晴らしいモノがあるのに!」
だからこういう,知的に不誠実な文章を許せなくなるのだ.無理やり例えるならこちらは、登山道の整備と観光化に反対する登山家の気持ちに近いかもしれない.「道なき道を登った先にあるその景色こそ本当の…」云々的な?.俺は山登らないから知らんけど.

*1:ブクマで叩く程度の軽いアレは単に下をみて安心したいだけの人たちと感じるので除外

*2:アニメの中の人はあんまり朝のゴミ出しとかお風呂掃除とかしないじゃん.そういう枝葉の部分は全部カットしてるから.物理で言う「摩擦のない滑車」と同じ