現代語訳 学問のすすめ

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)


新宿ジュンク堂で何気なく手に取った一冊。衝動買いであったが、十二分にペイする本だった。手に取る前はタイトルしか知らず、内容については何も知らなかったが、これは日本国民の意識のありようを説いた思想書だった。
読み始めて驚いた。その思想が極めて道理の通ったものであることに非常にショックを受けたのだ。西洋諸国との競争にさらされ、日本という国のあり方を問わねばならない状況下、人々が社会のためになることをせねばならぬと福澤は説いている。とはいっても、滅私奉公をしろというのではないところが優れているところで、それがめぐって人民のためであるという、言ってみればwin-win situationが実現されるであろうと主張している。よくある説教とは違い、先の先を考えた福澤による、非常に先進的な考え方ではないだろうか。
そのために国民は「不羈独立」の「気概」を持つべきだと何度も主張されている。独立というのは物質的な独立だけでなく、精神的なそれも含む。専制的に人を支配する/人に支配されることはそもそも不合理であり、腐敗した体制を生むのであって、こびへつらう人間が集まっても社会がよくならないというのが理由らしい。そのとおりでしょうな。
西洋諸国との競争において、西洋に追いつくことをはなっから目標になどしていない点もすごい。当面の凌ぎとして西洋を真似るのもいいが、西洋だって完璧なはずがない、西洋を疑え、というのがその理由。正論だ。この「疑うこと」こそが当時の西洋の文明の基礎の部分にあると言っている*1。当時の人々はこの本を読んでどう感じただろう。やはりすごく鼓舞されたんじゃないか。


この本は17個の節からなるが、後半では具体的な心構えについて説いている。その一つ一つが非常に尤もではあるが、そのうちのひとつ、特に印象に残ったものをちょっとだけ引用してみる*2

また、心だけが高尚で働きに乏しい者は、人に嫌われて孤立することがある。
自分の働きと他人の働きとを比較すれば、最初からかなわなかったとしても、自分の心の高尚さを基準に他人の働きを見れば、これに飽き足りなく思って、ひそかに軽蔑の念を持たざるをえなくなる。やたらに人を軽蔑する者は、また必ず他人から軽蔑されるものだ。お互いに不平を抱き、互いに軽蔑しあって、ついには奇人変人と嘲笑され、世間の仲間入りができなくなるに至る。

何かと行動より考えが先行する自分にあっては反省するべき点かもしれない。耳に痛い言葉だ。
それからよく孔子の考えをぼろくそに言ったりする。といっても、感情的な誹謗ではなく論理的な筋の通った批判だ。孔子は広く人民を束縛しておきながら、『女と小人はいかんともしがたい。さてさて困ったことだ』と嘆いたということを受け、「何の工夫もなくいたずらに愚痴をこぼすとは、あまり頼もしい話ではない。」とおっしゃったりしている。


これだけズバズバ正論を書いているのにあまり説教くさくない。これはやはり筋が通っていると感じられるからだろう*3。内容は、確かに古い面もあると思う。ただ自分には非常にしっくり来る考え方であった。非常に骨太で、ネット上の貧弱な自己防衛合戦をを眺めてなにかもやもやを感じる人ならば共感できる面がたくさんあるはずだ。それから学生であれば読んで損はない。学生でなくても、国、あるいは国にとらわれず広く言う社会のために何かしたいと思っている人は必読だと思う。

*1:「疑うこと」は科学の本質でもある

*2:現代語訳の引用なんで孫引きみたいなもんか

*3:文体、翻訳者の手腕もあると思う