科学を広めよ その二

「科学を広めよ」には通し番号つけてるけど別に続いてません。まあ今日も思うところをつらつらと。基本的にポエムなので細かい言葉遣いなどは気にしてません。それから誰に向けて書いた文章かわかりづらいですが、あくまでも自分用のまとめということでご了承ください。


科学とはなにか、に関して、そこらへんにいる大学生はなにか自分なりの考えを持っているのでしょうか。自分にはあまりそう思えないんですよね。少なくとも自分の周りにいる連中がそんなに深い考えを持っていると思えないです。自分のことは棚にあげていいますが。。。うちの大学には『科学概論』という授業があって、科学の歴史を扱うのですが、自分の場合、受講したにもかかわらずその授業中ずっと寝ていたためにほとんど何も残ってないんですよね。残念です。まあこれはたんなるエピソード。
最近、自分が科学(自分が考えるのはいつも物理なんですが)を教える立場にあるとして、まず初めに何を教えるべきかを考えることがあります。教える相手としてはこれから物理(一般には科学)を学ぶ高校生を仮定してます。最初に教えるべきは、帰納と、演繹についてだと思うのですがどうでしょうか。例を交えて高校生を相手にするつもりで説明してみます。


前回も書いたとおり、科学は単なる知識の集合体ではありません。事実が実験結果から捨象の過程を経て、理論として抽象化されていきます。例えば、質量の異なる木製のボールと鉄球を斜塔の頂上から落として同時に着地することを観察する。これを異なる質量の物体について繰り返すことで『ある高さを落下する際にかかる時間は物体の重さに拠らない』という法則を得ることができます。これが帰納の過程です。様々な物体を落として得たデータを、法則の形にまとめ上げました。この法則を用いれば、様々な"事実"が導け出せます。例えば『ピサの斜塔から同時に放たれた氷の塊と鉄球は同時に着地する』ということがいえます。これが、演繹の過程で、上の法則から事実が演繹されました。

もう一つ例を見てみます。上の、ピサの斜塔を使った実験の例は16世紀に行われたガリレオの実験として有名ですが今度のは17世紀のニュートンの理論を取り上げてみます。ニュートンはプリンキピアで天体の運行を、距離の逆二乗に比例する遠距離力を導入することによって見事に説明しました。この成功の後にニュートンは、空気の粒子間に働く1/rに比例する力を導入しました。言うまでも無く、これが物質の性質をよく説明するように思えたからです。帰納の過程ですね。しかしこの理論から導かれる"事実"には実験結果と整合しないものが含まれていました。具体的には音速を計算したときに実験誤差と割り切るには大きな差がでてしまったのですが、このような場合には理論のほうが失格なのであって、重視すべきはあくまで実験結果のほうなのです。


このように、帰納と演繹は莫大な量の実験データ(事実)と、少数の法則(理論)を取り結ぶものであって、このような手法によって科学上の(理論と実験両方を含んだ)知識は有機的に結びつくのです。そしてそれらの知識は生のデータを底辺として理論(原理)を頂点とするピラミッド構造をなします。


じゃあ君たちはこれから帰納と演繹の方法を学ぶことになるのか、といえば答えはNOです。これから初めに学んでいくのは、おもに演繹の方法です。これは、理科を学んできたときと同じ。はじめに「物質はそれ以上分割できない原子よりなる」と教わったと思いますが、これは初めに原理を学んでいるだけですね。そこから、もろもろの歴史的な実験がどのように説明されていくかを見る。これが高校までの理科の勉強でした。
よく、「天下り式」などと言って批判されることがあるスタイルの教え方ですが、これも歴とした科学の重要な論法の一つであって、軽視するべきではないのです。