我々は自分の心の動きに対して、自身で思っているほど敏感ではないのかもしれない

タイトルは特に関係ない2つについて書いてみる。

マグリット

六本木新美術館で開催されているマグリット展に行ってみた。電王戦FINALの最終局もあっけなく終了してしまったようなので、持て余した時間をつぶした形ではある。マグリットシュルレアリスムを代表する画家の一人で、実に奇妙な絵をかく。
彼はたとえば日常や常識の一部分を切り取って、それを別の所に置いてみたりする。たとえば、人間の鼻だけを部屋にどかんと置いてみたり、テーブルの脚を生き物の脚と取り換えたり。それによって見た人はショックを受けるようなものを描く。ショックを受けるのはやはり我々が文脈の中に生きているからだ。人間の鼻は人間の顔の真ん中についていなきゃいけないし、テーブルの脚も元の生き物に返してあげないといけない。しかしそう思うということは、我々が鼻や脚についてよく知らないということに他ならない。彼はそう言いたかったのじゃないか。「風景の魅惑」という作品があった。無機質な部屋に空の額縁が置いてあり、隣に猟銃が置いてある。「さあ書いてやろう」と思って対象を切り取った瞬間に対象は死んでしまう。物事の元来を、銃殺せずに生きたまま捉えることは、あるいは認識することなどできないと、皮肉っているようにも見えた。

それでも彼はたくさん作品を描いたわけだけど。挑戦し続けた。あるいは試行を続けた。常識や、あるいはもっと根源的な人間の限界に対する困難な戦いのようなものであったかもしれない。この点に強く感銘を受けた。

ところで今回の企画展に含まれる「現実の感覚」という作品は、5/13にならないと作品が回送されてこないという。だから「現実の感覚」を見たければ、もう少し待つ必要がある。この点だけは注意が必要。

イミテーション・ゲーム

アラン・チューリングをモデルにしたドキュメンタリー映画「イミテーション・ゲーム」を見た。非常に良い。1951年、チューリングの捜査シーンから物語が始まる。第2次世界大戦中のミッションを回顧あるいは報告する形で主要な部分が進行する感じだ。チューリング役のベネディクト・カンバーバッチがバッチリはまっている。Sherlockのころから、僕は彼の演じる天才が好きなのだ。
脚本や演出も良かった。ともすればややこしくなりそうなストーリーの構成は、この映画では奇跡的なほどうまいと思う。