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どうして莫大な金をかけてAlphaGOなんてものをつくるんだろう

記事タイトルの答えは、わかりません。わかりませんが、少し感ずるところはありますので、それについて書きたい。囲碁は、知性というとらえがたいものの一面を抜き出すモデルなのだと思います。それについては後半のほうで与太話を書きます。この記事は基本的に感想文です。

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熱狂の5対局が、幕を下ろした。GoogleDeepMindの囲碁AIであるAlphaGOが、囲碁界の"魔王"ことイ・セドル九段と5戦を交える「チャレンジマッチ」は、AlphaGOの4-1での勝利に終わった。
 正直なところ、今回のマッチはものすごい衝撃だった。たとえるなら、嵐を予感していたところにやってきたのが竜巻で、建っていた建物から何から、見えていたものをすべて持っていかれてしまったような気持ちだ。途中までは、ゲームをハラハラしながら見ていたのだが、3局目が終わったあたりから、AlphaGOの暴力的なパワーに、むしろすがすがしさを感じた。

今回のチャレンジマッチでは、いくつも感心することがあった。一つ目は何といってもまずAlphaGOが、めちゃくちゃ強かったことだ。大会が開始される前、囲碁を打つ人の中で、AlphaGOの勝利を予想していた人は少なかったんじゃないかと思う。僕も、チャレンジマッチが始まるまでは、イ・セドルに勝利するほどのソフトであることは、信じていなかった。
 それまで知られていたモンテカルロ法によるソフトウェアの実力はアマチュア高段レベルで頭打ちとなっていたし、ZenやCSなどのソフトの開発者も「モンテカルロは限界」と口々に述べるように、プロとの間に横たわる深い谷は、依然としてその峻厳さを保っていると思っていた。ブレークスルーを待ちながら、飽和状態にあったというのが、僕が認識する囲碁ソフトの状況だった。
 だから、AlphaGOの開発者達が口々に、「コンピュータが囲碁で人間のプロに勝つには十年かかると言われていたが、我々はそれを成し遂げた」みたいなことを言うのは、僕は謙遜だと思う。世の中の大多数の人は、コンピュータがプロに勝利する日がいつ来るか予想もできなかったし、そんな日は永遠に来ないと思っていた人も*1多かったと思う。チャレンジマッチが終わった今となっては「囲碁ソフトがプロに勝つのに10年もいらないこと、俺はわかっていたけどね」みたいな人がたくさん湧いて出てきていて、辟易とするのだけど。本当に誇れるのは開発者だけだろう。
 AlphaGOが登場したとき、それが画像認識技術を利用したもので、何やらすごいものらしいことは論文からも感じられたのだが、それがどれくらいの強さなのかは誰にもわからなかった。囲碁のプロ棋士の予想でも、Nature論文に掲載された棋譜を見て、AlphaGOの強さを推測しえた棋士はいなかったんじゃないのか。もちろん、論文掲載時からAlphaGOは進化していたので、推測するも何も全く"ベツモノ"のソフトウェアになっていたというのも聞くし、これについてはレドモンド九段も解説で言っていた。

今回のチャレンジマッチは、ショーとしても、とても見ごたえのあるもので、これ以上望めないものだった。
 まず、話題に華がある。なにやらプロに勝ったという「謎の人工知能」の実力が、世界トップ棋士との対局で派手にショーダウンとなるというのだから、気にならないわけがない。1月28日のNatureへの論文出版から、3月9日のチャレンジマッチの開催をずっと楽しみにしていた。これほどまでのソフトウェアを秘密裏に作り上げ、プロ棋士との対局を行い勝利し、ほとんど伝説のような棋士であるイ・セドル九段との5局の対局をコーディネートしてしまうんだから、目まいがする。
 大会が始まってみれば、解説を担当したレドモンド九段も毎日キレキレだったし、深い青をベースに色数を抑えて統一された会場作りは、碁石の白黒とよくマッチしており、非常にスタイリッシュで知的な雰囲気を演出していた。それを自社のサービスを使って世界同時放映まで行ってしまうなんて…何もかもがこれ以上ないほど丁寧にあつらえられたショーで、見ている囲碁ファンとしては多少のこれ以上ないほどの興奮を味わえた。碁のポテンシャルを見た。幸せだった。

最後に、対局を観戦することで、碁の面白さを改めて感じられた。囲碁の深さに、再度気づかされる思いがした。これは収穫だった。
 たとえば第3局の、32手目などは、はっとした。解説者のレドモンド九段の予想はAかBだった。

 ところが、実際に着手されたのは、Bから1路下にずれた、次の手だった。

 もちろん手の良し悪しは、変化を読まないとわからない。しかしこの手は、見るからに働きそうで、称賛の声をあげる人も少なくなかった。たった一路ずれただけで、その手を思いつくことは何倍にも難しくなる。このように、人間の思考の癖が、浮き彫りになるような瞬間は本質的な気がする。それは僕が碁を打ち続けている理由と、関係する。
 ある手が打たれ、理由を示されてみれば、それが良い手か悪い手は納得できる。しかし、その手に自力で気づくことは、納得だけすることの幾倍も難しい。これはアインシュタインが特殊相対論と似ている。特殊相対論が発表されたとき、理解できる人間は世界で5人を超えないと言われていた。しかし現代では、特殊相対論は学部で教わる常識の一つになった。
ノーベル賞を受けた科学者の創造と、ゲームの一つである囲碁を比べることに抵抗がある人もいると思う。しかし、畏敬すべき知性の働きという意味では、どちらも同等に貴い。これを本質的と言わないで何と言えばいいのかな。
 そうやって考えていくと、碁を打つ身としては、AlphaGOが生まれた理由も、なんとなく理解できる気がする。彼らは知性について本当に真剣に考えたいのだろうという、意気込みを感じる。

*1:もちろん、そう信じる根拠などもともと有りはしない