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重要な仕事について考えること

本当に重要な研究とは何なのか、考えているとよくわからなくなる。よくわからなくなると、考えるのが辛くなってきて、社会の役に立つことこそが善!と思えてくる。最近じゃ大学なんかでも社会貢献がトレンドのようだけど、社会というものの実体も良くわからないし、結局問題は別の形できちんと考えないといけないのだなと思う。ここのところをきちんと明確にしないと、いくら頑張ってやっても何も形にならないという事態になってしまう可能性がある。


3年前になる。働き出したばかりだった自分は、ある装置の設計を任せられた。はじめは指示をくれる2人の上司の意向をうまく調整さえすれば、設計図も仕様書も自然と書けると思っていたのだが、それはどうやら間違いだということに気づいた、という話である。
まず自分で原案を書き、それを更新する形で進めていたのだが、途中あたりから細部について上司の間で意見がわかれ、仕様の内容が振動してしまった。締め切りも気になりだし、焦りがつのりわけもわからずに汗をかいていた。その時は自分のやり方のまずさに気付かなかったのだ。
まずさというは、役割的には第一の当事者である自分が、考えることを放棄し、状況をコントロールしようとせずに、ただ流されていたということである。結果として装置製作は遅れ、後々の実験スケジュールもドミノ式に後ろ倒しになってしまった。
調整するということは透明な媒質になるということではなかったのだ。対立するときには緩衝材に、疑問を感じるアイディアに対しては反射材になり意見とアイディアの取捨選択をしていくというのが、実は大事だった。これはとても勉強になった。


装置の設計もそうだが、研究の大目標も同じである。主体的に重要性について苦しんで考えなくては、よほどの幸運でもない限り「社会の声」に流されているうちに、根無し草のまま終わりという恐ろしい結果になりかねない。
面白さでも新しさでも良いから、まず自分なりの判断基準を持つことはぜひとも必要なのだろうと思う。