読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

新しいということ

やりたいことだけやって生きていきたいなら、人の言うことは、一切、聞くな【ロボット工学者 石黒浩さんの仕事論】 - リクナビNEXTジャーナル
ロボット工学者の石黒さんの話を目にした。読んでみて、面白いことが書かれているなと思った。たとえば冒頭だが、

大人になるということは、思考停止になるということ

というのはわかる気がする。世の中には考えることが好きではない人が多いらしく、実は世界はそういう人にも優しくできている。社会通念とかエチケットというのはその象徴みたいなもので、それさえ守っていれば社会の成員としてqualifyされる、みたいなところがある。だから、社会の中でなるべくストレスなく生きていくためには社会のルールをマスターすべきなのだろう。
ただ、この場合のルールはあくまで思考の省略という実用的・手段的な意味を持っているのに過ぎないのであって、これが目的になるとおかしな転倒が起こる。そして残念なことにこういう現象が、世の中に、組織にはあふれている。
かと言って、そういった社会的なルールに対して疑念の目を向けることは、実際そうではなくても、そのコミュニティに対して敵対的であるとみなされかねない。そしてそれは、さまざまな形で不利益をもたらす。たとえば人間関係上の孤立、金銭的ペナルティ(収入の多寡を含め)など。これは、形骸化したルールだろうが、転倒し目的化したルールであってもそうであるところが怖いところ。
はじめから目をつむってにルールに従うのであれば、気にすることもないのだけども。(あ、ビートルズの歌詞が浮かぶや THE BEATLES - Strawberry Fields Forever - YouTube ビートルズ最高)



社会のルールとの付き合い方には、大きくわけて2種類あると思う。
ひとつ目は積極的にルールを利用する立場。この立場は社会的に成功することを目的とした「ゲーム」のプレーヤーと言える。社会的に地位の高い職や収入を得て楽しく暮らすことをゴールとし、受験をクリアし、資格試験をクリアし、効率的にゲームを進めていく。ルールに対する適応力が勝敗を決するため、この立場にとっては立ち止まっている時間は完全なるロスになる。
もう一方はもう少し「面倒くさい」立場で、ルール自体について考えずにはいられない人たちが属する。元も子もないことを言うならば、こういう人たちは、先の立場と対極にあると言えるわけだから、まず社会的に成功しづらい。どこかメタな立場からルールを眺めており、先の立場からは哲学的かつ非生産的と映るだろうし、当然、ほめられることはない。ほめられるということはまだルールの内側ということだからだ。そしてこういう人たちには貧乏が宿命づけられている。ルールとは価値観の反映だから、ルール外の事物について判断基準が社会にはない。だからそれは、原理的な貧乏である。ご愁傷様。


ただし、本当に新しいものはルールの中心からは生まれてこない。

新しい文明は、なぜか周辺から生まれる。
塩野七生ローマ人の物語I ローマは一日にして成らず」 第2章 共和制ローマ

ギリシャ文明の興りについての文章であるが、4000年前エーゲ海に漕ぎ出した冒険心豊かなギリシャ人に背を押されるような心強さを感じられる気がする。



言いたいことは尽きないところだけど、眠いので終わり。