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グローバル化離れ

お知らせ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 国際的に活躍する「グローバル人材」の育成が急務とされる中、学習塾などが全国の大学生や高校生、保護者約1000人に行ったアンケート調査で、大学生の半数以上が「自分はもうグローバル人材になれない」と諦めていると回答した。

(中略)「今からグローバル化のための教育を受けても自分は間に合わない」と感じている割合は、高校生で50%、大学生で55%だった。保護者も24%が「我が子は手遅れ」と諦めていた。

よくわからない。グローバル化のための教育はそんなに幼少のころから行う必要があるのか…というかグローバル化とはそもそも何だろう。ちょっと探してみると文科省のページに明示的に定義されているようだ。

「グローバル化」とは、情報通信技術の進展、交通手段の発達による移動の容易化、市場の国際的な開放等により、人、物材、情報の国際的移動が活性化して、様々な分野で「国境」の意義があいまいになるとともに、各国が相互に依存し、他国や国際社会の動向を無視できなくなっている現象ととらえることができる。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/kokusai/004/gijiroku/attach/1247196.htm

なるほど。この定義で言うと100円ショップにmade in Chinaが溢れていることもグローバル化だし,日本のアニメがフランスで人気になるのも,それ自体グローバル化の現れなんだな。

特に「知」はもともと容易に国境を越えるものであることから、グローバル化は教育と密接な関わりをもつ。さらに「国際化」はグローバル化に対応していく過程ととらえることができる。教育分野では、諸外国との教育交流、外国人材の受入れ、グローバル化に対応できる人材の養成などの形で、国際化が進展している。

先ほどの記事でいうグローバル人材というのは,特にこのあたりの話だろう。この文書は教育についての文書だけど,「知」が国境を超えやすいことはそれ以外の分野でも同じだ。例えば産業分野でも技術そのものや知的財産は無形の資源であるから,国境を簡単に超える。
考えてみれば,本来「知」そのものに国境なんて関係がないはずで,より良い「知」の探査空間が広がる意味ではグローバル化は歓迎して然るべきのはずなのだが。そういう意味では,グローバル化というのは情報通信技術の進展の力を借り,「知」が本来の姿を取り戻そうとする過程なのかも。*1
そう考えると,冒頭のアンケートが意味するところが変わってくる。語学力と関係づけられて語られることの多いグローバル化であるが,それが実は頭脳・知識の国境を越えた循環であることを踏まえると,問題はもっと根深い。私はそれは,若い世代が「知」について貪欲でなくなっているということだと思う。
そういう意味で,子どもの(大人のでもある)数学・科学離れとこの問題は同根なのだと思う。

*1:もちろんその実施環境に依存した技術なんかはそう簡単ではないと思うけど。たとえば日本の米は日本の気候・風土に適した改良がおこなわれてきたわけだし。それでも農法のオプションを広げる交流には意味があると思う。