妄想

これはペンです

これはペンです


2話がそれぞれ大きな科学的な空想に貫かれている。はじめの話は,文字の並びを生成するシステムとしての叔父の正体を探る大学生の女の子が綴る形である。言葉の曖昧さというのを様々な形で言い表そうとした作品だろうと想像できる。2話目は,異常な記憶力を持つ「父」についての話である。シンボルの記憶に以上特科した人間の話であると読める。彼には時間という概念が存在しなかった。劣化しない記憶というのは,過去も現在も区別しない。
こういうテーマになるような,突飛なアイディアを頭に巡らせるのは楽しい。俺もよく,異常に未来予知能力に長けた生命体の話というのをぼんやり考えてみたりする。その生命体は驚いたことに,流体中の渦の挙動や異なるスケール間の干渉するような複雑な事象であっても,計算することもなく予言することができその予言精度も見事としか言いようのないものである。しかし彼らにとってはそれは"自明"であり,ちょうど息をするのと同じように,ごく自然に経験から身につけていくように見えた。意外なことに彼らは数学を理解しなかった。必要がなかったのだ。従って彼らは数の概念も持たなければ対称性を理解することもなかった。数学的な美に関する一切を,理解しようとしなかった。
今日の数学や物理が体系だった構造を持っていることは,人間の認知能力の欠損にその理由があるのだろう。有限の認知能力しか持たぬがゆえに,人間は現象に普遍を見出そうとし,理解を求める。人間が無限の能力を有し,どんなに難しい問題でも答えが自明に感じられてくるのであれば,数理的な学問は発達しなかったに違いない。もちろん,これらは仮定を含めてすべて妄想なのであるが。