押されたらもどるものの話

学部のわりと初めの方で,波動と熱を取り上げた物理学Cという授業を受けた。つかみどころのない単元がセットになっただけのようで,力学のような分野と比べると目的も括り方もよくわからない授業だったが,現象論というものに触れることが目的だったのかもしれない。これらの議論は適応範囲も非常に広く結構役に立ち強力である。個人的なことを言えば,後になって学んだ光学定理が古典でも量子論でもほとんどそのままの議論で同様に議論できるというのに感動したりもした。同じ数理を見出すあたりにいよいよ物理の面白さを感じられる部分だったと今では思う。ただこいつらは,課程の早い段階で触れすぎるために面白さを感じる間もなくなんとなく過ぎてしまうものだろう。流体中の波動,特に音波と呼ばれるものについてごく基本的な所を書いてみようと思う。目的は特にないのだが,たまには少しくらい物理っぽいものを・・・。


ざっくり言って流体中の音波は,流体が圧縮に対して復元力を示すために伝播する。復元力あるところに調和振動子ありで,運動方程式を線形化してうんにゃらすると波動方程式が導けるというのはご存知の通り。流体の運動により密度が増加することで圧力勾配が生じるということで,音波の記述では連続の式が顔を出す。
連続の式   \frac{\partial \rho}{\partial t}=-\vec{\nabla}\cdot (\rho\vec{v})
また当然,流体要素に対する運動方程式が必要となる。例えば粘性のない理想流体であればそれは
オイラーの式   \rho \frac{d\vec{v}}{dt}=-\vec{\nabla}p
である。重力は忘れる。ρは静的で一様なρ[0]と音波による変分ρ[a]に分けられるとする。また圧力についても同様にp=p[0]+p[a]とできるとし,前者が後者に対して十分に大きく,o(ρ[a]/ρ[0])の項は無視してよいものとする。第一式はこの時
 \frac{\partial \rho_{\rm a}}{\partial t}=-\rho_{0} \vec{\nabla}\cdot \vec{v}
と簡単になり,第二式もやはり
 \rho_{0}\frac{\partial \vec{v}}{\partial t}=-\vec{\nabla}p_{\rm a}
とすっきりする。上では音波が微小であることから速度の二乗項も無視した。二つの式について発散を取ったり∂/∂tしたりしてうまいこと足すと結局
波動方程式likeな式   \frac{\partial^{2}}{\partial t^{2}}\rho_{\rm a}+\nabla^{2}p_{\rm a}=0
となる。さて,上の式は一見波動方程式に見えるがp[a]とρ[a]というよく似ているが別の量が顔を出している。密度と圧力の間には何らかの比例関係があるだろうとナイーブに考え,ひとまず比例係数をαと置こう:p[a]=αρ[a]。これをすると上の式はうまいこと波動方程式になって,この時音速は \sqrt{\alpha}になる。じゃあαって何よという話になる。
理想気体の場合を見れば実在気体の場合もほぼ自明だろうということで,理想気体についてαを考える。このとき,状態方程式 pV=nRT よりp=ρRT/Mなので,圧力と密度の変分δに対してδp=(RT/M)δρとなる。いま,Mは流体のモル質量とした。これより明らかにα=RT/Mなので,音速c[a]は \sqrt{RT/M}である。例えば空気だとM=0.0288 kg/mol, R=8.31 m^2kg/s^2KmolなのでT=300 Kのとき,c[a]=294.3 m/s。めでたく音速が出た。
音速の導出という数理物理学上の問題を歴史上初めて設定し,それを解き上記の値を得たのはアイザック・ニュートン御大であった。導出の詳細はプリンキピアに載っているそうである。実験に関してはどうかというと,

音速の実測値は,1636年のフランスのメルセンヌ,そして1656年のイタリアのボレリとヴィヴィアーニ以来いくつも得られていたが,(中略)ボレリたちの得た値は5925フィートを5秒で伝わる。すなわち1185ft/s=361m/s.1677年のパリ科学アカデミーの測定では365m/s,1705年にロンドン王立協会のデラムの測定では1142ft/s=348m/sであった

と実は今回の計算とは整合していない(山本義隆著「熱学思想の史的展開1」)。ニュートンはこのずれを,極めて言い訳じみたモデルの修正で’解決’したのだった。モデルについて言えば,実はニュートンは今日広く浸透している気体分子運動論には全く与していなかった。彼が用いたモデルは気体分子が互いにばねでつながったような静的なモデルであった。この点に関して当時からいい線行っていたのはフックであった。フックという名からすぐさまばねを思い浮かべる人が多いと思うが舐めてはいけない。フックはかなり早い段階から分子の熱的運動*1というアイデアを持っていた。「フック先生は,とんでもなくすごい先生だったんですよ!」というのは予備校の授業で何度となく山本義隆先生から聞こえた言葉であった。

(続…かないのでは)

*1:もちろん今日の気体運動論とはだいぶ違ったものであったが