6冊目『技術屋の心眼』

技術屋(エンジニア)の心眼 (平凡社ライブラリー)

技術屋(エンジニア)の心眼 (平凡社ライブラリー)


かいつまんで内容を紹介。
技術者が物を知るのは、心眼によってである。それは非言語的・非数学的な理解の仕方であって、実際に目で見、肌で感じた経験を持ってのみ養われるものである。1960年代以降、急激に設計におけるシステム化が進み、設計は単なる「解析」となってしまった。この背景には大学における工学の重点化があったというのが筆者の分析である。教育現場から現場的な経験の場が奪われてしまったのだ。それだけではなく、設計におけるコンピュータの普及はそれまで用いられてきた計算尺による計算よりも、精確に値が求まるように見えるという欠点を備えているとも指摘する。
工学は過度に解析に重きを置いてしまう節があるが、これは態度として正しくない。物をつくるにおいて、技術屋は必然性のない判断をする必要がある。工学者の行う科学、もしくは解析においてはこの点がプロセスから抜けてしまっている。これはあるときはソフトウェアに含まれる目に見えないところでの仮定であるかもしれないし、あるときは過度の単純化かもしれない。こうしたものつくりは危険である。チャレンジャー号の犠牲やタコマ・ナローズの例は有名なものだろう。
他にもトップダウン的なプロジェクトの危険性とか、ルネサンス期におけるスケッチ法の進化とか、色々なことが書いてあって面白かった。とりあえずまあ、現場を重視せよというのが一貫しての筆者の主張であった。

余談

さて、これは我々物性理論を研究する者らにとっても大切なことだと思うのですよ。つまり、実験物理屋さんが肌で感じていることを知る努力が必要なのかもしれない。のみならず、今の実験技術で何ができて、何ができないのかという点についての無知は理論研究においても支障をきたすこともあるだろう。
うん、まあ、だから、「THzレーザーがあるんだからGHzでもできるだろw そこら辺は実験屋さんに頑張ってもらって、波長1000倍くらいで見積もってみたら?」という安易なパラメータ設定は咎められるべきだと、そう思うわけですよ。はいごめんなさい