就活か。はー

文章にすることで何か発見があるかもしれないので、就活について何か書いてみようと思います。自分の考え方の確認であって、きわめて当たり前のことしか書かないとは思いますので、時間を溝に捨てても構わない人だけスクロールしてください。


最近はいくつかの研究発表に向けた準備が活動の中心になっていますが、その合間を縫って就職活動をしています。新卒の全国的な就職難ということがよく取沙汰されていますが、僕は結構楽観的で、楽しんでやっている感じです。不思議なことに研究以外の活動をやることによって何か相乗効果のようなものが生まれるようで、例えば難しい計算がうまく行くようになったりするのですね。深い理由はよくわからないのですが、そういった理由があって最近就活のおかげで研究が楽しいです(笑。
一口に就活といっても、そのフェーズはいくつかに分かれます。エントリー以前の自己分析や企業研究といったものも就職に向けた活動という意味で就活の一部というのが一般的のようです。一人や仲間内でできてしまう自己分析などの活動は、実際に企業に赴いて行う面接などに比べれば確かに地味です。しかし僕は「だから自己分析は重要でない」とは思いません。というよりむしろ、自己分析こそ全てという気がしています。企業にアプライ/雇用されるにあたって、究極的には結果に対し「自分が満足さえすればおk」なのであって、業界や職種、給与・待遇や企業知名度にとらわれるのは本末転倒と言えるでしょう。もちろん、「人の価値は年収と等価である」と思う人は年収の高い順に企業を受けていけばいいわけですが、当然ながらこのような価値観はごく特殊なものであって、一般には複数の判断基準からなるパラメータ空間内の各点から実数全ての集合Rへの関数fを考える必要があるわけです。今のたとえで言えば自己分析とは関数fの定義に他なりませんw
 f: (R_{1},R_{2},\cdots,R_{N})\in {\bf R}^{N}\to R
就活をすすめていくとやはりいろいろなことに気づきます。それは世の中に対する新しい見方であったり、自己の内面に関する、時には認めたくなかった一面だったりします。こうして発見したこと一つ一つについて納得がいくまで考えを深めていきたい気もちはあるにはあるのですが、最終的には数ヵ月後の内定という形に収束していかなくてはならないし、そうした活動は非生産的だからです。こうした時間的制約のために、妥協が必要になります。妥協といっても、何かを全て諦めてしまうわけではなくて、何を何十パーセント重視して何を何十パーセント重視するという割合の調整に過ぎないわけです。だからこそ単純ではないし、うまく妥協するためには十分に価値観の反省をしておいたほうがいいと思うわけです。


続けてみよう。次は自分の価値観についてもう少し反省しまーつ。