人に教えるということ

この前文系の子に量子論について話す機会があった。


東大法学部に通うその子は最近は音楽ばかりやっているよう
なのだけど、やっぱ頭の回転が速い。量子論についてはほとんど
知識は無かったようなので簡単に説明をした。


量子論では粒子性とか波動性というものがはっきりしていない。
例えば電子を見てみると、波動としての統計的性質がある一方、観測
されるときはいつもある大きさの電荷を持った粒子として観察される。
これは相補性と言って量子論の特徴の一つなのだ、と。


しかし彼女の頭の回転の速さのために、彼女はそういう素朴な考えを
一気に飛び越してしまうようだった。彼女の頭の中には勝手に
粒子=存在、波=エネルギーという図式が成立していたようだ。
存在、というのはわからないがとりあえずアインシュタイン
関係式によって質量を持つ粒子は静止状態においてエネルギーを
持つことは指摘しておいた。


彼女の頭の中にはすでに哲学とか、存在論といったものが
叩き込まれてるんだろう(人名しりとりの途中でレヴィ=ストロース
とか出てくる笑 これは社会学かな?)


彼女はシュレディンガーの猫の話を聞いて、やっぱり反論していた。
俺もやっぱりうまく説明できなかったよ。京都大の九後先生も量子論
の授業だけは持ちたくないと、どっかの動画で言っていたっけ。
神はサイコロを振らない」くらい説明したら喜んだかもな。それは
また次の機会。


結局何がわかったかというと、量子論の不思議さとものを
教えることの難しさだけだ。こういう素人の子にうまく
説明できるようになれたら嬉しいんだけど。そんでもって将来的に
研究の傍ら一般教養の科学の授業を持つ笑


やっぱり、科学はみんなで共有するべきと思うのねん。