昔書いた文が出てきてワロチ

なんか、ずいぶん前に書き上げようと思ってた文章が出てきた。
イタくて恥ずかしい文章だけど晒してみる。ちなみに未完らしい(推定)

物理は「ソフトか、ハードか」ということについて考えたことがある。
みんなはどっちだと思う?なんとなく、ハード的だと思ってる人は
多そうだと思うけどどうだろう?なんたって実在のものを扱うのだから、
そう思うのは当然で、自分自身深く考えたことは無かったけど少なくとも
「ソフト」と聞いて物理を思い浮かべることはなかった。と、思う。

はじめに、今の自分の考え方を述べておくと「物理は実はものすごい
ソフト的だ」ということだ。これは化学がハード的ということと比べてみると
すごく面白い。実は自明なのかもしれないけど...


熱力学について考えてみたいと思う。なぜ熱力学なのか、といえば、
熱力学が物理の中でも特にシステマティックだと思うからだ。


はじめに、システマティックとはどういうことかということについて考えてみたい。


私は、物理はとてもシステマティックであると思う。それは物理の扱う対象が、
事実と事実の間の関係であると思うからである。たとえば
ニュートン力学を考えてみよう。ニュートン力学の出発点(公理と言ってもよい)は下に挙げる3つの運動法則である。

ニュートンの運動法則は第一法則から第三法則の三つからなる:

  1. 第一法則:外力が加わらなければ、質点の運動状態は変化しない。
  2. 第二法則:質点の運動は運動方程式F=maに従う。つまり運動量の時間変化は力に比例する。
  3. 第三法則:二つの質点が相互に力を及ぼすとき、一方の受ける力は、他方の受ける力と同じ大きさを持ち、その方向は平行で逆向きである。

一見、第一法則は第2法則で力F=0と置いた特別な場合だと
見られるように思うが、それが違う。第一法則にはこの宇宙に少なくとも
一つはこのような法則を満たす慣性系が存在するということを述べて
いるのであり本質的に第二法則とは異なる。実は。
本筋に戻ろう。ニュートン力学の法則はすべてこの3つの法則から導かれる。
運動量保存則はF=0とおくことにより、エネルギー保存則は運動方程式
時間積分することにより出てくる...etc

この体系によれば、導かれるすべての法則や関係式は他の式から導かれる。
つまり実用的応用に富んだ、数学の発展にものすごく貢献した、
それからそれ自体ものすごく豊かな法則の体系というものは、たった3つの
式から導くことができるのだ。力学の枠組みを木にたとえればは
この3つの法則を幹にして、そこから枝葉へと向かっていくイメージ。


ここで「導くことができる」と書いたけど、実はここは重要だ。
なぜならばこの3つの式はすごく豊かで多彩で、言ってみれば
ごちゃごちゃした実験事実から「帰結した」ものだからだ。


3つの法則からすべての力学的現象が導かれるのは素晴らしいし、
哲学的ですごくキレイだ。でもそれは決して当たり前のものではないし、
天才が現れて1人で華麗に解いてしまった類の問題でもない。
ニュートンが3つの法則を導くその前に、ガリレオの発見と興奮、失意があった。
ティコとケプラーの運命的な出会いがあり、偶然があった。


「もし私が他の人よりも遠くを見ているとしたら、それは巨人の肩の上に立っているからだ」
というのはニュートンの言葉である。

つまりさっきの木の例で言うと、枝葉を先に見て、それに隠れている
幹の部分を見つけ出したのがニュートンだったというわけだ。
これによって物理は(これは物理に対してだけではなくて科学全体の
性質なのだけど)単なる知識の集合を超えて、一つの体系に昇華する
ことができた、というわけだ。


こんなふうに、ニュートンはそれまでの実験事実を「公理化」したわけだけれど、
実はこの公理化は必然的ではない。他のスタート地点をうまく選ぶことが
できれば、それはそれでOKなわけで、実際に別の定式化の方法は、
物理をやる人だったら解析力学という形で学ぶことになっている。
(注:解析力学は数学的に洗練されていて、座標のとり方によらずに
同じ形の方程式で記述することができるという利点がある。)


こういった性質はとりわけ古典力学(今まで単に「力学」と読んでいたもの。
ふつう、量子論以前の物理を「古典論」とよび、量子論と区別する)
と熱力学においてよく見ることができる。どちらも古くからよく研究され、
発展しきったものである。


熱力学はある意味とても難しい。
高校である程度はやるのだが、いったい何を目標にやっているのか、
少なくとも自分が最初に勉強したときにはさっぱりわからんかった。
実は、熱力学にも力学と同じように3つの法則がある
熱力学第一法則:エネルギー保存則
熱力学第二法則エントロピー増加の法則
熱力学第三法則:Nernst-Planckの仮説
大前提として熱力学第零法則(熱浴に接した系は平衡状態と呼ばれる
特別な状態に達する)を加えることもある。これらの法則も実験事実から
導かれたものである。伝統的な熱力学の教科書ではこれらの法則から議論を
スタートして、あらゆる実験事実を説明することによって熱力学を構成する。


清水明「熱力学の基礎」によれば、大まかに言って熱力学の論理体系には4つあるのだそうだ。その4つとは

  1. 1A ミクロ系の物理学の知識を援用し、示量変数のみを基本的な変数に選び展開する
  2. 1B ミクロ系の物理学の知識を援用し、基本的な変数の一部を示強変数(特に温度)に置き換えて展開する
  3. 2A 熱力学だけで閉じた理論体系を論じ、示量変数のみを基本的な変数に選び展開する
  4. 2B 熱力学だけで閉じた理論体系を論じ、基本的な変数の一部を示強変数(特に温度)に置き換えて展開する

内容には踏み込まないけれども、熱力学には上のような4つの流儀がある。
もちろん他の分類の仕方もあるだろう。

一般的(伝統的)な教科書は1Bのスタイルに沿っているが、この流儀は
実はわかりづらいこともよくある。たとえば、温度という概念は日常で我々は
親しんでいるわけだが、実は自明な概念ではない。人間にとって温度というのが
感覚を通して感覚的に知覚できる、というだけのことであって、ア・プリオリ
認めることは必ずしもすっきりとした論理体系を約束しないということだ。


これは力学の世界でも、数学的に洗練された解析力学はそのスタート地点を
直接は知覚できないラグランジアンという量においていることと類似している。
そして実際、そのような体系のほうが応用も広い。


さて、熱力学は上述した4つの構築の仕方を持つ。これはどういうことを
意味しているのだろう。まず一つ、大きいのは、この事実は科学というのが人間によって作られたものに過ぎないということを思い出させて
くれるということだろう。人間が実験事実を元に構成している以上、その
理論からある程度の理論的予測を得ることはできるが現在の理論体系が
そもそも含んでいない現象や、効果といったものはどうやっても現存の
理論からは出てこない。量子力学の発展のころがそうだった。


19世紀末、物理学はすでに「完成された学問」で、発展の余地は無いと
考えられていた。しかし1901年のプランクをはじめ、物理学者はミクロな
世界に我々の世界とはまた違った法則に支配された世界が存在することに
気づき出したのだ。これが現在量子力学と呼ばれるものであり、
今でもすべての現象が満足に説明される理論はない。


そのひとつがニールス・ボーアをはじめとするコペンハーゲン学派の唱えた
コペンハーゲン解釈」であり、この解釈ではある位置ある時刻に粒子を
見つける確率が波動関数の絶対値の2乗に比例するのである。

アイタタタタタ。