母親にいつかタイトルを聞いた、「ダウントン・アビー」というドラマを見てみた。第一次大戦期の英国貴族と、そこに使える使用人達の人間関係が主題であって、最初の一話を見るまではどうしても腰が重かった。だいたいWikipediaの記事ダウントン・アビー - Wikipediaの家系図を見た瞬間に、見る気がなくなるじゃないか。

でも一旦見始めてみると、なるほど面白味があり、また僕にとって魅力的なことに英語が比較的お上品だった。しかし登場人物は必ずしも清廉な人物ばかりではなく、というか皆どこかしら意地悪なところを持っていたりして、時には少し嫌な空気が漂ったりする。噂話、悪口、皮肉、陰口のオンパレードで、なるほど英国人とはかくあるものかと感心してしまう。クローリー家の人間と、の中でもトーマスというイケメンのbastardがいるのだが、こいつが本当に曲者だ。これまた陰湿なオブライエン(オブライエンと聞くとどうしてもオーウェルの1984年を思い出してしまう。のだが…)と情報交換していると、それだけで何か黒い雲が立ち込めるような不安な気持ちを掻き立てられる。トーマスは人の恋路も残酷に踏みにじるようなエゴイストとして今のところ描かれており、スピードワゴンなら即刻ゲロ以下判定するであろうアレなご様子だ。劇中で勧善懲悪されちゃうんだろうか。まだ4話まで見ただけだが、意外と癖になる。貴族の古いしきたりに反感を覚えていた、いかにも自由主義的な青年弁護士のマシューが貴族について理解する努力をするところなどは印象にのこった。
このドラマ、フレームには戦争や城の運営などがあり、これについて僕は想像することすらできないが、ダイナミックな部分は基本的には話題は人間関係とカネ(相続)と恋愛・結婚の事ばかりである。結局人間が考えることなんて昔から大して変わらないのであろう。もちろん、これは現代風に味付けされたドラマに過ぎないのだけどね…。

めでたくシリコン・バレーのシーズン3がhuluで放送開始されたので、最近では土曜日を楽しみにしている。個人的にはシリコン・バレーのシーズン2は、ラス・ハンネマンの「天才的なクソ野郎ぶり」のおかげで成功したと思っている。だが見ようによっては、ラスは少しやりすぎだったのかもしれない。彼の存在感ある意味不明なまでのクソ野郎ぶりのせいで、ストーリーにリアリティがなくなった面があることは否めない。彼は華であり同時に劇薬でもあった。ゆえに退場させられた。シーズン3を第2話まで見た感じだと、営業と技術の冗談みたいな祖語というリアリティがテーマになっていて、ラスのようなファッキンクソ野郎は必要なさそうである。
しかし見るほどに、海外ドラマは偉い。面白いドラマを見るたびに、「さすがにもうこれ以上面白いものは出てこないだろう…」と楽しみの反面、絶望するわけなのだけど、2年もすればちゃんとまた面白いものが登場してくる。学生時代にはまったナンバーズの時がそうだった。もしくはシャーロックだったり、ブレイキングバッドだったりした。こういうドラマは、飽きるまで何度でも見たくなるものだ。そして、そういう風にしつこく視聴していれば、自分の英語も自然と向上するというわけだ(願望)。毎日のCNN Student Newsとか、podcastの視聴を日常的にしていて、ドラマのおかげでなくても「それだけ時間費やしてれば、さすがに…ねえ」という感じではあるのだけど、モチベーションが続くというのは実は一番大事かもしれない。

最近英辞郎を買った。検索が早く、便利である。iPhoneで動くアプリも購入したが、サクサク動くので非常に快適だ。どうして専用の電子辞書端末は、この時代にあってあれほど入力しづらく、応答も遅くてジャンプもしにくいのだろうと思わずにはいられない。

或る一日の前半

朝起きてすぐに毛布を洗濯機に放り込んだ。乾燥機付きの洗濯機は本当に便利で、良い買い物だったと思う。雨だろうが、出かけ際だろうがボタンを一押ししたら終わりでだからだ。天気を気にしながら干す必要もないし、花粉も蜂も気にしなくていい。洗濯機を使うたびにああ、便利だなあと感じる。最高だ。今日はいつにもまして最高で、それというのも執筆中の論文を先週中になんとか手放していたからだ。解放感から、たまには東京でも散歩してやろうという気になった。
簡単に朝食を済ませ、午前中のうちに出かけた。昔通っていた高校のそばにある店へ、名物の和菓子を求めに出かけた。何度か買うチャンスがあったのだが、最後に口にしてからは久しい。お店に到着すると、目当ての菓子の製造は終わっていて、ある分がなくなったら売り切れという看板がでていた。5人ほど先客並んでいたが、自分も運よく5個ほど買うことができた。自分の後ろにも長い列ができていたが、全員が買えたかは怪しい。昼飯には、一口ごとに咽るような辛さの麻婆豆腐を食べた。それから店の前を通るとすでに菓子は売り切れていたようで、行列はすっかり消えていた。
買った菓子は、土曜日も大学で研究している恋人に差し入れた。先生と、他の学生の分も買っておいたのでそれも一緒に手渡した。誘いを受け少し研究室を見学させてもらい、散歩に出るためそこで別れた。あとから聞いた話ではその後「せっかく来てくれたのに一人で返すなんて」と先生に怒られたらしい。話の分かる先生だと思った。

先日の、納得がいかなかったパズルについて更に書きます。しばらく一人で考えて、納得がいかない理由を明確にしたので備忘録的に書いておこうかと思うわけです。

そのクイズは、こんなものでした。
「4人が宿泊しているホテルの部屋から、女性が出てくるところが見えた。このとき、その4人がすべて女性である確率はいくらか?」
本当にこの程度の説明しかなかったわけだけど、その本の中では要約すると次のような解答が与えられていたわけです。

女性の数が0人から4人まで、5通りのグループ編成が考えられる。この5通りのグループが宿泊することについて、同様に確からしいとすると、ベイズの定理により女性がその部屋から出てくるところを見たときの、全員女性である確率は、P(全員女性|女性が出入りするところを見た) = P(全員女性∧女性が出入りするところを見た)/P(女性が出入りするところを見た)。だから、右辺は (1/5)/(1/2) = 2/5。すなわち答えは40%。僕が読んだ本の中では、ベイズの定理は陽には用いられていませんでしたが、要約するとこんなところ。

この回答の納得のいかないところは、5通りのグループが宿泊することについて、「同様に確からしい」とするところ。この回答を正解とするのであれば、問題文は次のようにあるべきだ。
「女性の数が0~5人の4人組、A~Eをつくった。いま、ランダムに選んだ一つのグループを部屋に入れた。部屋から女性が出てくるのが見えたとき、選んだグループが女性4人の組である確率は?」
このようにすれば問題の解答は正当なものになる。逆に、4人組を、コインを4回振り、表が出た回数で女性の数を決めるようなやり方だと最終的な解答は変わってくる。このような4人組の作り方をしたとき、同様に確からしい4人組のアンサンブルを考えると、4人組である確率は(1/5ではなく)1/16しかない。仮にこの値を、先のベイズの定理に放り込むと、最終的な確率は1/8となってしまう。これは、別に非自明なところもない。実際には、4人組の宿泊グループのうちの女性の人数についての確からしさは、そのホテルにおける宿泊者の統計的情報などから推測することになる。そのうえで女性が出入りしているのを見かけたときの確率を求めることになる。

この問題は、一般に事前分布の選び方という問題として知られているものと同じかと思います。

統計力クイズ: そのデータから何が読みとれるのか?

統計力クイズ: そのデータから何が読みとれるのか?

むしろ逆に確率を質的にとらえて納得する

立ち読みした本に確率のパズルが載っていて、それについて考えたりしていた。そのパズルについては数日間考え、答えを本で確認したところ、納得するものとは言えなかった。条件付確率と呼ばれるものを利用したパズルで、ベイズ統計学と関係のある問題だ。こういう問題は、説明されればああそうかと納得するものの、考え方がみについているかと問われると怪しいところがある。この問題の簡略バージョンなら、ネットでもよく見かけるので、これについて少し考えてみた。簡略バージョンでも問題の肝は捉えられると思う。
ネットに問題文があったので、引用する(ベイズの定理(入門編) - Pashango’s Blog)。

隣の家に2人の子供がいる事が解っています。隣家のお母さんに「女のお子さんはいますか?」と質問した所「はい」と答えました。このとき、もう1人の子供も女の子である確率はいくつでしょうか?

単純のために、この世界では男女の出生率に差はないとし、また生まれたこどもは死亡等による男女の偏りは生じないものとする。また子どもの性別について判断できる情報は、持ち合わせていないとする。まあ、新しく引っ越してきてお隣さんの家族を見たことがないとか、そういうことだろう。現実では子どもが二人いると知っているのに、性別については全くの無知というのはなかなかあり得ないように思えるが、このようにし仮定しても一般性を失わないし、この仮定が破れている現実世界でも、計算過程の数値だけ変更すれば考え方は適用できるからね。

さてこの問題だが、想定解答は次のようなものだ。事象AとBを、次のように定義する。
A: 二人の子どもの少なくとも一人が女の子である
B: 隣家の子どもが二人とも女の子(姉妹)である
すると、今回求めたいのはAと分かったうえでのBの確率だ。一般的な記号を導入して、これをP(B|A)と表す。ベイズの定理を用いると、
 P(B|A)=\frac{P(A∧B)}{P(A)}
である。事象の意味的には、B⇒Aが成り立つので、P(A∧B)=P(B)=1/4である。また、P(A)のほうは、これを「二人の子どもが両方とも男の子である」ことの余事象に対する確率と考えれば、P(A)=1-1/4=3/4となる。したがって求めるべき確率P(B|A)は、(1/4)/(3/4)=1/3となる。


この問題は「少なくとも一人が女の子である」ということを悟る時点が、非常にデリケートであり、例えば冒頭の問題を次のように問題を書き換えると答えは変わってしまう。

隣の家に2人の子供がいる事が解っています。ある日、偶然、隣家に女の子が出入りするのが見えたので、子どものうち少なくとも一人はどうやら女の子のようです。このとき、もう1人の子供も女の子である確率はいくつでしょうか?

前問と同じように、事象AとBを定義するのがよいだろう。
A: 二人の子どもの少なくとも一人が女の子である
B: 隣家の子どもが女のこ二人(姉妹)である
このように考えるなら、結論は前の問題と同じになる。しかし、問題文の状況をよく考えると、Aをもってすでに起こった事象とするのは間違いである。このばあい、正しくはA'を使う。
A': ある日、偶然、隣家に女の子が出入りするのが見えた
もう少し数学的にクリアに書き直すならば、
A'': 二人の子どものうち一人をランダムに抜き出したところ、女の子であった
となる。確率P(A'')を求めるには、条件付確率に対する関係式
 P(X)=\sum_{i}P(X|Y_i)P(Y_i)
を使えばよい。すると、P(A'')は1/2となるので、求めたい確率P(B|A'')=1/2となる。


なぜこのような差が生じたのかというと、それは女の子が隣家に出入りするところは、女の子が一人だけしかいない場合よりも、二人いる場合のほうが目撃する確率が高いからである。女の子が出入りするところを見た時点で、少なくとも女の子が一人その家にはいるということに加え、「女の子がその家に出入りするところを目撃する」という事象が起こりやすいということも同時に知るわけである。これはつまり、二人とも女の子である確率が高いということを知るということである。
A''が生じた時点で、Aよりも多くの情報を得たことになる。パラドキシカルな結果を与える2つの問題だが、このように考えると多少の納得がいく気がする。ではこの余剰な情報の量は、「どれくらいだろうか」。これについては、計算すれば出てくるのだろう。気が向いたらそのうち計算するかもしれない。

Atomospheric Pressure

台風が来て、自宅の気圧ロガーは一時980 hPaを割った。
気圧のdipから遅れて、すこし気温が下がったようだった。
ちなみに富士山の山頂は、iPhoneアプリの気圧計で642 hPaしかなかった。どおりで苦しかったわけだ。

留学生の希望によって富士山に登ってきた。僕が前回上ったのは6年前、吉田口からで、そのときは猛烈な混雑に見舞われた。今回は須走口からスタートし、7合目の山小屋に宿泊した。人は少なく、快適な登山道だった。
不幸なことに、心配していた留学生ではなく、僕が高山病にかかってしまった。山小屋での食事のころは手足が痺れ頭痛もひどく、チーム員から「顔面蒼白」との評ももらってしまった。断念も止む無しかと思ったが、食欲のないところを無理やり食べて耐えていると、幸いにも回復した。代謝を活発にすると早めに適応するというのも聞く話だ。
早朝3時ごろ、空を眺めると天の川が見えた。流星も三、四個見えた。ご来光は8合目付近で迎えた。8合目から、須走ルートはは混雑の吉田ルートと合流するが、日の出後の登頂ルートはいい感じに空いていた。道がいくら空いていても、ずんずん歩いてしまうと息が切れて頭が痛くなるので、1歩を10センチくらいを心がけて進んだ。遅くても一定ペースで歩くと、周りの人よりかえって早いペースで登れてしまうのは少し痛快だ。その後剣が峰にたどり着き、お鉢巡りをして下山。山頂では小学校に上がったばかりじゃないかという子供が何人かいて驚いた。
復路は思っていたよりしんどかった。天候が優れなかったこともあるが、御殿場ルートを踏破した経験者二人すらも、「不思議なくらいきつい」と言っていた。一人は富士登山15回、もう一人は4回という手練れなのだが、結局、歳のせいかということになった。帰りは渋滞に巻き込まれたが、留学生も満足していたし、良い旅だった。

今回の登山に当たって、雨具や靴からシャツまで、一通りの用具を買いそろえた。総額6万円くらいかかったが、やはり良いものは良い。特に靴の性能が良いと安心感が違う。
今年は次は御岳山あたりかということで、少々ごつすぎる気もするが、せっかく買ったので用具は活用したい。

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